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「街河ヒカリの対話と社会」編集方針

インターネットで言葉のジャングルを歩いていると、自分が抱いた悩みとソックリの悩みを書いた人や、自分が言語化できなかった違和感を最高級カメラのような解像度で言語化した人に出会う。自分一人の体験のはずが赤の他人と共通し、いくつもの共通点を集めると普遍的な性質が立体的に見えてくる。

インターネットの世界に集まった多数の人々が、一見すると無関係のようにも思える問題と問題に橋を架け、普遍性を発見し、より上位の概念へとまとめ上げた事例がある。インターネットで蓄えた記憶を日常生活で呼び覚ますと、自分たちの身の周りの問題に再び光を当て、顕微鏡のように観察することができる。

常に情報が流れオーバーフローするインターネットの世界では、大切な宝石が知らず知らずのうちに流されてしまう。同じ話題が何度も繰り返される。確かにフロー型のメディアもいいが、ストック型のメディアを使い、宝石を宝箱に整理し、アクセシビリティを高めることが、2018年の今に重要なのではないか。

しかし、個別具体的な知識を網羅的に得たいならWikipediaがある。学術的な知識が必要ならオンラインジャーナルを読めばよい。社会問題を論じるウェブメディアはいくらでもある。

インターネットならではの、人々の日常と地続きで、しかも集合知が価値を持つテーマを、私は言語化しストックしたいと思う。そのテーマは、コミュニケーションの問題だ。

コミュニケーションの中でも、個人レベルで行われており、かつ、社会問題と関係するものを論じたい。たとえば「詭弁」と検索すれば詭弁の例がいくつもヒットする。しかしそれらは個人レベルの問題に終始しており、社会とのつながりがほとんど記述されていない。

人は誰でも他者と関係を有しており、個人と個人の関係が無限に絡み合うことで社会が形成されている。個人は無意識のうちに社会へ影響を与え、社会から影響を受けている。個人と社会の相互作用を可視化することは難しいが、可視化できれば、個人がより合理的な行動を選択でき、社会問題の解決が近づくのではないか。

私はこれからシリーズ「街河ヒカリの対話と社会」として原稿を書き、順次公開する予定だが、主に次の方針を貫きたい。

1点目に、個人の問題と社会問題の関係を考察する。日常的に体験する悪口、嫌味や皮肉、詭弁、そういったものと社会問題の関係を考察する。

2点目に、インターネットで何度も論じられた問題や、ネットスラングのようなものから、普遍的な性質や価値を抽出し、上位概念へとまとめ上げる。そうすることによって有用性を高め、他の問題への活用を可能にしたい。

3点目に、ある程度インターネットのカルチャーに親しんでいる人や、言論や思想の分野を学んでいる人にとっては当たり前すぎて知る価値がないことでも、そうでない人々にとっては真新しさがあり、知る価値があるという可能性を肯定的に評価し、簡単な問題から難解な問題までを幅広く選定する。

4点目に、クオリティが低い内容であっても公開する。私には知識が不足しているので考察が浅くなってしまうこともあるが、読者の皆様からのコメントを基に、加筆修正をしていく予定だ。また、参考文献や先行研究などもぜひ読者の皆様から教えていただきたい。

以上が基本的な方針だ。今後私は2018年から2019年に、毎月1本~4本程度の原稿を投下する予定だ。本シリーズの全ての原稿は、noteのマガジン「街河ヒカリの対話と社会」から読むことができる。

なお、私はこのシリーズとは別に、映画や音楽などについても原稿を公開しているので、ぜひご覧いただきたい。こちらのマガジンから一覧することができる。

それでは、末永くお付き合いいただきたい。

なお、私の原稿を別の媒体に掲載したい、別の企画を依頼したいという方は私のメールアドレスへご連絡をしていただきたいと思います。また、私の原稿の盗用や、なりすまし等を発見された方も、ご連絡をお願いします。


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