アン・マスキング 擬態をやめること

特に20代のころの自分を思い返すと、
周りとうまくやるためのいろいろは、あれは確かに擬態だったなあと思います。

擬態といっても、周りの人へ嘘をついていた訳ではないのです。駄目であろう自分を隠していたということなのでした。

至らない自分がいつ粗相をしてしまうか、いつ失敗をしてしまうか、という緊張感が常にありました。
なるべく無害で無難な感じに擬態する努力を緊張感と共にしていたと思います。

どうしたら仲良くできるだろう?といつも考えていて、試行錯誤だったなとおもいます。
周りを見ては、私もうまくやりたいなあとおもいました。

うまくやるってすごいこと。
それができると皆と仲良くなれる。
愛情や友好的な気持ちが伝わるときもあるから、うまくやろうと思いました。
さらに思い返すと、だけどそれは自分のことだけを考えていたのではと思います。
仲良くしたいのではなくて、嫌われたくなかったのかもしれない。

ありのままという言葉は感動するけれど、それをしたら自分も周りも不幸になると思ったものです。
ありのままを出したあとの対応に対して、全体が未熟でしたから。
アニメ映画の氷の女王の、冒頭の悲壮感とありのままで生きると決めたあとの雰囲気。
その差が、当時のようすを表していると感じました。

アン・マスキング
ふつうという仮面からの解放
ありのままの自分へ
という本を見かけて、ここまで来たんだなと感慨深くなりました。


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これからの社会は?と考えたり感じ取ったりすると、弱者をうみだすかのような近代から現代のような社会ではなくなりそうだと私は感じていて、
それは、皆がありのままで生きて互いに交流していくことが始まるからだと思っています。

だから、自分の得意なことや不得意なことをわかっている必要があるとおもいます。
教育へは、自分を知ることを取り入れるとよいとおもいます。

AIなどの技術がありのままを生きることを助けてくれると思うし、自分を助けて補ってくれるようにそれらへ指示できるちからが必要とおもいます。(そのように定めそのようにおこなえ:古代のエジプト王のように)

ひとびとの価値観や発想の変化も著しいでしょう。国を越えてひとびとの共通項は生、生きることだと思いますが、生きることのなかに死がきちんと組み込まれている発想が標準となっていくとおもいます。
見えないものとはいったい何か?というところも、今のスピリチュアルの分野では追い付けないところだとおもいますが、もしかしたら精神世界ではなくて脳科学やテクノロジーや物理学の分野で見えないものについてはっきりしていくかもしれません。

見えないものを見えるようにするのは技術や学問

見えないものをその方の感性と才能を通して表現する芸術

見えないものを受け取るのはひとびとの脳と身体
脳は量子場という事を聞きなるほどとおもいます。


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