見出し画像

同人誌の感想:そらとぶさかな『さびしがりな灯台の話』

そらとぶさかなさんの『さびしがりな灯台の話』を読みました。

画像1

さかなさんからは、先日私の『暁天の双星』にとてもありがたいご感想をいただいたばかりで、なんだかタイミング的におかえしで感想を書いているみたいに見えてしまうかもしれませんが、関係はありません。
眠れない夜には短編をひとつ読むことにしており、手をのばした本がたまたまこのご本だったのです。
そしてとてもすてきなご本だったので、感想を書いておきたいなという気持ちになりました。

眠れない夜というのは、本質的にさびしいものです。
家族や隣近所に迷惑がかからぬよう、ひとりでそろりそろりと寝室を出て、どうにか神経の興奮を鎮めて、眠気を呼び込まなければなりません。
そんなある夜に手にしたのが、この『さびしがりな灯台の話』でした。

ほとんど人の訪れない崖上に、孤独に立っているさびしがりの灯台が主人公、という出だしからもうぐっと惹きつけられました。
けれども本当に灯台が寂しくなったときには、友達に会いに行くこともできる――その方法が単純ながら(文字通り)ぶっ飛んでいて、発想がユーモラスかつ自由で、私はこういうものに出会うために物語を読むのだという気さえします――、そのことにすごくほっとします。
(そして、いつも会いに行くことができない理由が秀逸で大好きです……)

とはいえ、友達に会っても灯台のさびしさを根本的に解決することにはならず、時折やってくる訪問者も灯台の孤独をかえって深めるばかり。

なぜでしょうか。
たぶん灯台は、崖の上でひとりぼっちだからさびしいのではないのです。
自分が放つ光が、誰かに届いている実感がないからさびしいのです。

灯台の姿は、人間のわたしたちにも重なるところがあります。
自分の仕事が、果たして世のため人のためになっているのかよく分からないとき。
私なんていてもいなくても同じなんじゃないかなあ、となんとなく思うとき。
あるいは、がんばって本を作ったのに全然売れないとき(笑)

「いつもお疲れさま」

訪問者が何気なく放った一言が、私の胸にも沁みました。

灯台は、これからもひとりぼっちのままです。
さびしさがすっかり消えることはないかもしれません。
それでも、これからもだれかの海路を照らし続けるのでしょう。
それを想像したとき、私も少しさびしくなくなったような気がします。

通販情報

本作は現在、短編集『旅する鉄塔』に収録されています。

・BOOTH


頂戴したサポートは各種制作費に充当いたします。