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歌手フィービ・スノウのこと


私が大好きな歌手のひとり、フィービ・スノウについて書いてみます。

フィービ・スノウ(1950〜2011)
1974年に「サンフランシスコ・ベイ・ブルース(原題 Phoebe Snow)」でデビューした女性ブルース・シンガー。

続いてシングルPoetry Man が大ヒットして、グラミー賞最優秀新人賞にノミネートを果たしました。

4オクターブの声域をもつ実力派のシンガーで、日本でも「ブルースの妖精」として話題になりました。

デビューは華々しかったのですが、その後の活躍は、その才能の豊かさに見合っていたとは言えませんでした。

私はデビューからアルバム4枚目まではフォローしていましたが、音楽性が変化して行ったのと、あまり話題になることが無くなって、残念に思いながら、アルバムを買うこともなくなりました。

調べてみたら、その後更に3枚のアルバムを出していました。

2010年に亡くなったというニュースを聞いて、その後フィービにとって音楽だけに打ち込める人生ではなかったということを知りました。

フィービはデビュー後暫くして短期間結婚していた時期があり、その時に娘さんを出産しましたが、出産のときの医療過誤により重い脳障害を負ってしまったそうです。

Wikipediaでは、生まれつきの障害と記されていますが、私がフィービが亡くなった後にYouTubeで見たフィービ自身のインタビューでは、医療過誤だと言っていたのを記憶しています。

周囲から施設に預けるよう勧められたのですが、フィービは自宅で自分で介護する道を選びました。

長くは生きられないと言われた娘さんは、2007年、31歳の時に他界しています。

フィービにとっては大きな喪失だったのは容易に想像できます。

娘さんが長く生きられたのは母親の愛情のある介護のおかげだったのかもしれません。

それをうかがわせるエピソードがあります。

ある時、テレビでオペラを見た娘さんがとても喜んでいるのを見て、フィービはオペラのレッスンを受け始めたそうです。

娘さんの笑顔が見たかったのでしょう。

そして、元々の歌唱力に更に磨きがかかったことでしょう。

娘さんの他界後僅か3年後にフィービ自身が脳出血で倒れ、意識不明の状態が続いたのち、娘さんの後を追うかのように亡くなりました。

60歳でした。

私より若いんだなぁ…。

音楽と娘さんの介護…それらを通して愛を表現した人だったのだと思います。

有名な人でなくても、私たち一人ひとり、それぞれの素質や才能、置かれた環境で、それぞれの愛の表現をしているのでしょう。

フィービの歌を聞いていると、何かあたたかいものを感じます。

ビブラートのかかった個性的な声が大好きです。

過去記事の「名曲At Last聴きくらべ」の最後にフィービのYouTubeの動画が貼ってあります。

YouTubeにデビューアルバムのサンフランシスコ・ベイ・ブルースやハーポのブルースなどたくさんの曲がアップされていますので、宜しければ聞いてみてください。(この2曲は私のお勧めです。)

私はただの1ファンだけれど、「そう言えば…」とフィービのことを思い出してもらったり、知ってもらえると嬉しいのです。




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