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藤井風の登場は、なんとなく原田真二が出てきた時と似ているんじゃないかと勝手に思っている

藤井風さんを知ったのは、2020年4月コロナ禍で強制的にテレワークになり、仕事中に自宅でラジオを聴くようになってから。

熱狂的なファンでもないし、完全に後追いで聴いている身なので彼のことは詳しくないものの、私の頭にはデビュー当時の原田真二さんの存在がチラついてしまうのです…。
とは言え、原田真二さんのデビュー時はまだ生まれておらずリアルタイム世代ではないため、当時の雰囲気でなんとなくでしか判断になりますが、どちらもすごいシンガーソングライターであることには変わりなく、”エポックメイキングな存在”であることを含めて似ている部分、共通点がありそうだと思いました。

検索しても二人についての記事はほとんどヒットしないので、全然違う!とツッコミが入るかもしれませんが、思ったことを残しておきます。

まずは、簡単に二人のプロフィールから

藤井風さんは1997年、岡山県里庄町のご出身。
12歳からYouTubeで活動開始、高校卒業後カバー曲の投稿が注目され、2019年(2020年?)に22歳でデビュー。
まず、そんな小さな頃からYouTubeが当たり前にあるのか!とアラフォーの私には驚きです。本当に田舎でもどこでも情報収集も情報発信もできる便利な時代になりました。
藤井風といい、同じくYouTube(ニコ動)で活動をスタートした米津玄師といい、ここ10年ちょっとで世の中は大きく変わったなぁとしみじみしてしまいます。
デモテープをレコード会社に送って、は今は昔…の話なんでしょうか。

そして、原田真二さんは1958年、広島県広島市のご出身。
フォーライフレコードのオーディションで同郷の吉田拓郎に見出され、1977年若干18歳でデビュー。
デビュー当時から一人で多重録音もこなすマルチプレーヤーであり、セカンドアルバム時にはセルフプロデュースもこなす、まさに”早熟の天才”。
ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンに影響を受けた洋楽テイストのポップスは当時の日本の歌謡曲やポップスとは一線を画す存在だったそうです。

この情報だけ見てたら原田さんの方がすごそうな感じですが、藤井さんはデビューしてまだ2年も経っていないので、ちゃんとした評価は今後いろいろ出てくるんでしょう。

共通点その①
パブリックイメージや表面的な部分が似ているのと、
音楽の変革期に登場したこと

まずは、すごい浅い部分だけで共通点をピックアップすると「ピアノを弾くシンガーソングライター」「日本っぽくない音楽」「見た目(パーマヘア)」「中国地方出身」が第一印象で近いところがあるな〜と感じました。

お二人の見た目は並べると全然違うじゃん!となりますので、雰囲気だけでお願いします。笑
最近の音楽情報に詳しくありませんが、ここまでの知名度で最近ピアノを弾く男性シンガーソングライターはこの数年お見かけしていないです。(ヒゲダンはバンドなので一旦はずしで)

原田さんのデビュー時、1977年はピンクレディーや沢田研二などいわゆるバリバリの歌謡曲全盛期。一方で1972年にデビューしたユーミンをはじめとするニューミュージックと呼ばれる人たちも出てきて、翌年1978年にイエローマジックオーケストラがデビューすることを考えると、邦楽の大きな変革期で原田さんは世に出てくることになります。これ以降電子音楽が徐々に浸透していくので、生音だけで勝負する最後の時代だったのかな、と。

藤井さんのデビューは現在も続くコロナ禍によって音楽だけでなく、生活が大きく変わってしまいました。コンサートを見に行くことができないので「ライブ(生)」の体験に制限が出ています。
音楽フォーマットもこの1年ちょっとで変わってしまった部分もあるし、今後も変わっていくんでしょうね。あとで振り返った時に今が変革の時になっていると思われます。

あと話は逸れますが、私が子どもだった90年代は音楽バブルでしたが、当時はR&Bブームやラップも積極的に取り入れられ、ファッションなども今以上に海外への憧れが強かったような気がします。
私は学生時代、音楽系の部活に所属していたのですが「洋楽しか聴かないのがかっこいい」みたいな雰囲気がありました。最近はどうなんでしょう?あまりそんな風に言う人を見なくなったように思います。
それから20年の間に、動画サイトやサブスクの登場で海外と日本の垣根がなくなり、さらには過去と未来の境目も薄くなった結果、藤井風さんをはじめとするバラエティ豊かな音楽を作る人がネットを中心に出てくる時代になりました。

共通点②
楽曲制作のテーマが「人間愛」に溢れている

①の表面的な部分だけが似ているんだったら、今回記事にすることはなかったのですが、この共通点が私の中で結構大事なポイントです。

藤井さん&原田さんの音楽性(曲のテイスト)は似ているとは正直思わないです。
先日関ジャムに出演した藤井さんのコメントでは、小さい頃から1930〜50年代のジャズに親しんでいたことと90年代のR&Bなどが下地になっているようです。
原田さんはポール・マッカートニーやエルトン・ジョンから影響を受けていることからイギリスやアメリカのロックが下地になっています。
これは二人の生まれた時代が40年ずれていることもあるので、もし同世代だったら似た部分も多かったのかな〜と妄想してしまいます。

私が音楽での共通点があると思ったのは、楽曲を作る上での”テーマ”です。
藤井さんのデビューアルバム「HELP EVER HURT NEVER」。意味は”常に助け、決して傷つけない”、彼のお父さんがよく聞かせてくれた言葉とのこと。
なんて素晴らしい教えなんでしょう…。彼のレーベル名が頭文字のHEHN RECORDSであることから、彼の曲作りの基本的な考え方としてずっと掲げて行くことになるんでしょう。
現代は多様性と言いながら逆行する言動も多い不寛容なこの時代に、藤井さんが多くの方に支持されるのも当然だと思わされます。

一方で原田さんはデビュー当時の作詞は松本隆さんが担当しているものの、当初作っていた歌詞は、「人類愛」をテーマにしたものだったそう。(Wikipedia参照)
結局お蔵入りとなっていますが、デビューアルバムは「Feel Happy」だし、その後は広島出身の原田さんらしく”平和”をテーマにした楽曲制作や活動を行っています。昨年は戦後75年の平和祈念コンサートを広島で行っていました。

私は約3年前から広島に住んでいますが、広島出身ではない私が驚いたのは広島は独特な文化が根付く街だな〜ということ。
8月6日は学校は登校日で平和学習を行ったり、8月になれば原爆や終戦の特集も他県より多く放映されている印象があります。
会社の同僚がボランティアで灯篭流しをやっていたり、そもそもカープは戦後の復興の象徴でもあります。
そんな中で育つ広島の人たちは、必然的に平和への意識が高くなるんだろうなぁと思いました。特に原田さんは戦後10年ちょっとで生まれているので、さらに色濃く残っている時代です。

若い頃は自分に意識が向きがちで、いろんな人生経験を経て外へ意識が向くというのが結構多いパターンだと思うのですが、藤井さんも原田さんも若い頃から個人的なことではなく、博愛主義だったり他者への思いやりなど普遍的なことを歌っているというのが二人に大きく共通している、というのが今回一番伝えたかったことになります。

最後に

今回の記事のために調べてみて、原田さんは当時いろんなジレンマがあり相当大変だったことが想像されます。今では当たり前のことが当時NGだったりしたのかな、と。
たぶん大人たちも今以上に厳しい人が多かっただろうし、10代からずっとやりたいことを貫き通す芯の強さはすごいと思います。こういう世の中に迎合しないで戦ってきた人たちのおかげで日本の音楽が今に至っていることを考えると感謝です。

藤井さんは「宇多田ヒカルが出てきた時と同じ衝撃」と言われることもありますが、決定的に異なるのが”田園風景広がる日本の田舎育ちの藤井”と”流行の最先端ニューヨーク育ちの宇多田”なんですよね。
藤井さんの特徴でピックアップされる方言ですが、実際の岡山の言葉は強い感じなので、よくこんなおしゃれに消化したなというのが正直な感想です。
本人はだいぶゆっくりしゃべりますが、実際の岡山人はもっと早い気がする…。

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