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教育の方向転換:子どもたちへのナッジ

私はいつも人に対して、英語でいうところのナッジ:そっと後押しすることを心がけている(つもりでいる)。
ナッジ(nudge)は直訳するとひじで軽くつつくことという意味もあるが、軽くつつつくだけで相手に行動変容が起こることはまあ珍しい。
しかし、整った環境が作られれば、可能なのだとは思っている。

私は細々と話し方教室を開催しているが、子どもたちに教える時、「こうしなさい」「ああしなさい」と答えを決めて話させるのには抵抗がある。
今から数十年前、自分が小中学生だった時を振り返ってもそう思うからである。
先生が言った事をよく理解する子が優等生、思ったことを口にする子は邪魔する子のように、先生目線ではっきりと棲み分けができているなと感じていた。
私でも感じていたのに、今の敏感な子どもたちが感じないわけがない。

集団に教える学校の枠組みでは仕方がないことだとは思うが、先生の正解がみんなの正解のような教え方を刷り込まれては、一体子どもの自由な発想はどこへいけば出せるのだろう。純粋であればあるほど、こうでなければ・・と発想が狭まってしまうのではないだろうか。点数をつけるためではなく、発想をどこまでも伸ばせる学び方が必要だ。

2022年度から高校では探求学習が始まる。
自分で課題を見つけ、情報収集、分析、表現する学習が始まり、知識偏重からの脱却を目指すと言われているが、急にそんなことができるだろうか。
せっかくの学びの方向転換。うまく機能してほしいと願う。
大人はどのようにナッジしていけばいいのか。

「考えるには土台が必要だよ。その土台はどうやって作ろうか。疑問が湧いたら自分の頭で考えよう。分からなかったらいつでも聞いて。」と気長に寄り添い励ます大人がいれば、子どもは自信を持って仮説を立て、その道を進んでいけるだろう。

大人も迷うことがあるだろうが、子どもたちの芽を潰さないよう、環境だけは整える手助けができればと思う。


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