「変化」って本当に起きてる?
コロナ禍での台風襲来
台風10号が九州を襲っています。私の住む静岡県函南町も、薄く日が差す瞬間があるかと思えば、滝のような雨が降ったりと、非常に不安定な天気です。
鹿児島にいる友人からは、「避難所に人数制限がかかっているからとりあえず自宅にとどまることにしたよ」なんてメッセージが入りました。
「コロナの感染を防止しながら避難をする」2019年夏にはこんな事態を誰も想像していませんでしたよね。
先週の問い:プロティアンキャリアと伝統的なキャリア いちばんの違いは?
さて、先週プロティアン研究会のキックオフ講演で田中研之輔先生の問いが秀逸だった話をしました。そして、こちらの問い↓ について書きました。
今週の問い:「変化」って本当に起きてる?
で。今週の問いです。
コロナで時代が変わった、変化変化っていうけど、「変化」って本当に起きてる?
そう、タナケン先生は問いました。
みなさんどうですか?
私自身を振り返ると、「授業が対面からオンラインになった」「科研のミーティングもオンラインになって出張がなくなった」等がコロナ・パンデミックによる変化だったと思います。
でも、もっと大きな変化は自分自身で起こしたものです。「退職して、自宅で過ごす時間が増えた」これ、コロナじゃなくて自分で選んだものでした。
あと、自然の摂理という意味では16年半片時も離れず、人間の家族以上に一緒に生きてきた黒猫を2月29日に亡くしたことです。
どの変化が一番大きかったかといえば黒猫との別れだったと思います。経済的な損失があったわけでも、肩書が変わったわけでもなく、私自身の社会的ステータスには何の影響もなかったけれども、一番大きな「変化」でした。生死は大きいです。
変化って何だろう?
コロナ禍の変化に対して、私はあっという間に慣れました。オンライン授業は大変なこともありますが、新しい技術として新しい空間として「アリ」だと確信しています。田舎に住む私にとっては通勤時間がなくなるというメリットも実感しています。
また、「退職して家にいる時間が長くなった」これは望んでいたことです。「退職して収入が激減した」これも想定内なので、特に驚きません。
一方、黒猫との別れは想定していましたが、辛かった。でも、ご縁があって新しい仔が来てくれ、また、外猫の出産なども続き、私自身の存在も含め自然の摂理の中にあります。大きなもの中に組み込まれている感じがします。
「変化」は後からのラベル付け?
これは私の個人的な感覚ですが、私たちって案外「変化」に強いんじゃないかと思います。なぜなら、結構気づかないうちに順応して、日常化していくから。何かがあったとしても、とりあえず毎日を暮らしていくことはやめないというか、やめられません。
ニューノーマルもノーマルであり、私たちの日常生活の延長です。「変化」って、ある一定期間をあとから振り返ってみた時に、ここが「変化」の時だったよね、というラベル付けなのかもしれませんね。
私が修士論文で用いた分析方法は、TEM(複線径路・等至性モデル)という時間軸にそって、ライフストーリーインタビューを分析する方法でした。その分析方法は、まさに今私が感じている感覚を体現するものでした。
変化の激しい時代って何?
と考えると、「変化の激しい時代だから、○○しないと」「変化の激しい時代だから、このままじゃダメなんじゃないか」等のフレーズに疑問が生まれてきます。
「変化」が怖いから、何かが起きそうだから…私たちはキャリアをデザインするんでしょうか。
「違う」と私は思います。
自分自身がもっとこうなりたい、ちょっとここをよりよく…という気持ちで何かを始めたり、辞めてみたり、つまり、行動を起こす。そして、後からそのあたりを振り返って「変化」ってラベルを付けているんじゃないか、そんな風に思った今週でした。
こういうことが心理的成功なんだろうな、とも。これについてはまた来週!
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