グリーフについて

グリーフについて
8年前の7月療養中の息子が亡くなりました。
生きていることが苦しくて、どうしようもなかった。
日々は過ぎていき、死ぬこともできずに、そう簡単に亡くなることは出来ないものなんだと知り、ただ生きた。
目覚めた時の「あ、生きてる」という残念感、身体の重さ、寂しさを感じてしまう、自責と後悔に駆られてしまう、もうそれらすべてが苦しかった。

季節を感じるのも、他の子たちの行事も、お祝いも、クリスマス、年末年始、もうすべてが苦しかった。

でも生きてるから生きてた。生きてることにした。

こどもを亡くしたグリーフの状態であることも知った。
グリーフは、人だけではなく、物や環境や立場などを亡くした人にも起こることだと知る。
亡くなってひと月、ふた月くらいはまだ大丈夫だった。日が経つにつれ、自身のからだの緊張や疲労が解けていく中で、悲しみが大きく感じられた。それは1年を迎えるまでどんどん強くなった。昨年のこの日は生きてた、話してた、しゃべってた、学校に行ってた、どんな小さなことも、生きていた証を見つけようとした、見つけようとして苦しくなった。

亡くなって3か月頃の予定で、ある大学のグリーフケアのサークルに参加した。旅する気持ちで1日がかりだった。その外出が嬉しくも痛くもあった。

そこでは、まだまだほやほやの死にたてだった。いいか悪いか分からないけど、長年気づかずに人生がうまくいかずに苦しくて来ている人もいた。
私はある意味幸せだったのかもしれない。

グリーフは、息子を亡くしたことだけでなく、私には、小学2年生の時に父が蒸発したことや、商売をしていていつも人の出入りがあって、頂き物がたくさんあったあの生活がなくなったこと、いとこが交通事故で亡くなったこと、東日本大震災で生まれ育った田舎へ容易に足を踏み入れることが出来なくなったこと、離婚したこと、これらのことが私にとってグリーフとなっていることに気づいた。

息子を亡くして、悲しくて寂しくてどうしようもなく辛いとき、いつかの感情が蘇ってくることが多々あった。
息子を亡くす前から、私には喪失感がいつもあって、どうしようもなくなることが頻繁に会ったのです。

そこで、息子のことだけではなく、出てきた思いを書いたり、そのまま感じたり、人に話せる機会があれば話すことにしてきました。

複雑ですね。
親を、育った環境を恨んだりもしました。
環境のせいにもしました。

私の人生そのものが複雑になりすぎていて、もうどこへ戻ったらいいのかわからなくなっていました。

ずっと、どこへ生きていいのか
どう生きていいのか分からなかった
本当に最近まで

そして分かったことは、
どこかへ向けて生きなくていいということ
どう生きてもいいということ

気づけば53歳過ぎ、今年54歳になるのだと


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