私の御先祖さまはインドから

私の父方の性は車戸。車戸家は滋賀県多賀大社の代々禰宜。多賀大社は紀元前に創建され、伊弉諾、伊弉冉が鎮座した由緒ある神社。古事記の天孫神話と聖書物語に類似性を見る私としては、多賀大社も聖書と深いつながりがあるはず。おそらく、ご先祖様は失われた十氏族の末裔で、中東から来た方達なのだろう。これでピリオド、終わりだった。それが、どうもそれだけでは済まなさそう・・・。なんと、車戸のご先祖様の出自はインダス文明を築いたインドの先住民、ドラビダ族らしいのだ。民族移動で南下したアーリア人がカースト制度でインド原住民を支配、大部分のドラビダ人は奴隷となるが、クナ地方を治める久那土王家(車戸)とその一族は国を脱出した、とある。温暖で自然豊かな国、海に浮かぶ島国目指し、南方インドから北上し、ゴビ砂漠を歩き、シベリア経由でアムール川を筏で一気に下り、目的地である日の国に上陸したらしいのだ。彼らは東北か渡りの島(北海道)から入り、南へと移動。出雲に定住し出雲族となる。技術を持ったドラビト人、クナド族は、たたら鉄で祭具を作り、クナド大神をお祀りし、大いに繁栄し初代出雲王朝を築いたとか・・・。その後、王朝は何度も何度も攻められ、クナド族は四方に散り、クナドの大神も至る所で、封印されたとか。その最たるが多賀大社と聞く。多賀大社は、車戸一族が禰宜となりクナドの大神を祀っていたが、伊弉諾と伊弉冉をお祀りするようになったと・・・。古代も血肉の戦いがあったのだろう。そう簡単に国を譲り渡す方が不自然だ。
多賀大社が伊奘諾と伊奘冉をお祀りし猿田彦を摂社にお祀りするのも、記紀を創作させた天皇と時の権力者、藤原一族のカモフラージュなのかもしれない。しかしながら、古代の歴史的事実が蘇り、現代人に明かされて行くようだ。昔、若いころ、インド航空のCAで2年飛んだ。ボンベイステイだが、旅行でデリー、カルカッタ、ジャイプールなど、色々観て回った。マハラジャのパーティにも招かれた。偶然など一つもない。過去の様々が今につながり鮮明に甦る。こうして、すべての経験に意味を持たせる、霊的な神さまのお働きを感じる。日本神話もただの神話に留まらず、事実に基づく実話とは。日出る国、この国の古く長い歴史から、火の国・日本の神秘なる力を感じる、と同時に、深淵な世界へ引き込まれて行くようだ。ことの真実を知り、過去が癒されることは大事。何より我がタマシイが喜んでいるようなのだ。


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