大切な人が亡くなったからこそできること

あんちゃさんのツイートが目にとまった。

熱い思いが湧き出てきて、こんなツイートをした。

亡くなった大切な家族に「話を聞けばよかった」と後悔する気持ちは痛いほどよく分かる。私も祖母の死を経験して以降、まさに同じことを思い続けてきたから。

仕事で悩んだとき、
「おばあちゃんはなんの仕事をしていたのだろう?」
「そのとき、悩んだりもしたのかな?どうやって解決してきたのかな?」

夫と喧嘩したとき、
「おばあちゃんもおじいちゃんと喧嘩したのだろうか?」
「どうやって仲直りしたのかな」

「私が産まれたとき、おばあちゃんはどこにいて、どう思ってくれたんだろう」
「おばあちゃんは何が嬉しくて、何が悲しかったんだろう」

……挙げるとキリがないほど、聞きたかったことがたくさんある。


でもあるとき思ったのだ。
この「聞けばよかった」は、自分の経験値が増えたからこそ出てくるものだと。

就職・結婚・出産、それ以外にもいろんな人生のステージを経たからこそ見えてくるものがある。それらを経験する前は思いもつかなかったことが、「聞きたいこと」になっていく。

ということは、祖父母や両親が先に亡くなる限り、必ずいつかは「聞けばよかった」と後悔することになる。

これは決して絶望ではない。
「話を聞けなかったこと」も「聞けなかったことに対する後悔」も、当然で自然なことだ気づいたら、少しだけ背負っていたものが軽くなった気がした。


じゃあ、大切な人を亡くし後悔したとき、私たちはどうすればいいのか?

今の私なりに考えたのは「想像すること」。

自分や他の家族の記憶をたどりながら、
「あの人は、こう思っていたのかもしれない」
「もしそのときに戻れたらどんな声をかけただろう」
と思いを馳せる。

人によってその想像は異なるだろうし、亡くなった本人にしてみたら「全然ちがうよ」と笑っちゃうものかもしれない。

でも答えがないからこそ問いを繰り返す哲学のように、案外生きている人の話を聴くよりも相手のことを深く想像できるのかも。

そんなふうに考えています。

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