負担に感じていた親子関係が、1ミリだけ前に進んだ話

数年ほど前から、帰省が億劫になってきた。

きっかけは、結婚してパートナーと二人で暮らすようになってから。彼といるときは素直に笑えるのだけど、実家にいるときの私はイライラが多くて、素直に笑えない。その差が大きくて、実家に帰ることが怖くなってしまったのだ。


特に感情が乱れてしまうのが、母から「洗濯物入れといて」「これ運んで」とお願いされるとき。それがお願いというよりも強制のように感じてしまうのと、いざ実行すると「そうじゃない、こっちのほうがよくない?」と言われるので、「なら自分でやってよ」と思ってしまう(短気w)。

本当は笑顔で楽しく過ごしたいのに、なんで私は母にイライラしてしまうんだろう。それが嫌で、感情を自分の中に押し込んだ。そうしたら実家で過ごす私は無表情になった。会話も減っていった。


でも先日、ちょっとだけ前に進めたかもしれないと思える出来事があった。

母にきゅうりの千切りを頼まれたので切ろうとすると、「えっ千切りだよ!!?」と強い言葉が飛んできた。

気づいたら、「私が切るんだから、私のやり方で千切りするの」と口走っていた。
思い通りに切って欲しいなら自分でやって、そうじゃないなら私に任せてほしいという気持ちだった。

すると母は言った。「千切りなの忘れてるかと思って」

──そうか、母はただ普通に「千切りだよ」と伝えたかっただけなんだ。でも母の口調の強さに、私は「またコントロールしようとしてるよ」と思い込み、拒否反応を示してしまった。

それに口調の強さは、私だって同じだ。ただ普通に冷静に、「千切りだって分かってるよ」と伝えればよかったのだ。

ただ結果的に、強い口調にはなってはしまったけど、その後の会話ははずんでいった。思い込みが間違いだったと気づき、お互いの本当の思いが分かったからかもしれない。
はずんだとは言ってもまだまだ笑顔ではないのだけど、互いの近況を普通のトーンで話すことができた。母も、私の話に耳を傾けてくれた。


今回のことで気づいたのは、普通に冷静に伝えたいことを伝えればいいこと。そして、我慢するのも違うということ。イライラしたくないあまり、伝えたいことも伝えず、母の思いも考えず、勘違いの不満が心のなかで溜まっていた。

でも伝えたいことを伝えたら自分の心も軽くなったし、会話もスムーズになった。ふたりの間にあった壁に穴が空いて少しだけ光が通った感じ。

次は深呼吸して母の思いを想像して、冷静に普通に伝えるようにしよう。


人と向き合うためには、感情をぶつけるでもなく、我慢するでもなく、伝えたいことを伝えること。

それは簡単ではないけれど、どちらかに傾いて失敗しながらも、ちょうどいいバランスを見つけていくものなんだと思う。きっと常に完璧にできるときなんてなくって、その時々のコンディションに左右されながら、生涯バランスを追い求めていくものなのかもしれない。

目の前の人といい関係を築きたいから、ちょっとずつでも前に進んでいこう。

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