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書評 ダイアローグ 対話する組織

 著 中原 淳 長岡 健 版ダイアモンド社

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コーチイングやワールドカフェなど対話によるコミニュケーション手法が注目されるようになってずいぶん経ちます。最初私は会話との違いがよくわかっていませんでした。ただ、自分が経営者の方とのセッションを行うようになって、その「場」で何が起こっているのか、「場」を共有しているメンバーの「エネルギー」がどのように流れているのかを掴むように注力してきました。そして、その流れが掴めていると、よい着地点だなと実感できる、結論に落ち着きます。

 本書によれば、対話とは、情報の移動ではなく、聞き手の共感、行動、考え方の変化を引き出そうとするコミニュケーションと定義されています。とすると、私も日常的に「対話」を行っているということでしょう。    本書は2008年初版され10年後の2018年には8版と版を重ねている、組織論の名著です。

 何故対話が注目されるのか?

 かって~今でも~日本の企業研修は学校と同じく一斉授業でした。中原氏らによれば、この一斉授業は産業革命のころ、安い労働力として子どもを働かせるために働き方のルールなどを一斉に「教育」するために開発された手法で、一方的な「情報の移動」の為に編み出された方法と言われています。高度経済成長期には「上からの命令には疑問を持たず一糸乱れずまっすぐ進む」ように一斉授業で訓練することが企業研修でした。「全員が大声を出し企業理念を唱える」ことで一体感を持つようにする合宿なども盛んに開催されていました。大量生産・大量消費が前提で、作れば売れる時代ならこのような企業研修でよかったでしょう。しかし現代はそのような一体感をもって一斉に同じ仕事を人よりより多くこなしたからと言って、顧客に受け入れられる商品が開発できる時代ではありません。

対話には行動を変える力がある。

これまで私たちは、授業やビジネスの場でも、政治の場でも、データーに基づいた論理的な情報を「解」として「全体」へ移動させることが「正しい」としてきました。しかしそれがほんとに腑に落ち心から納得して行動できるかと言えば、別でした。だから、お題目として企業理念を全員で唱え、覚えては居ても、その理念へのリスペクトが醸成されているかどうかは別でした。

 対話では、お互いの違いに蓋をせず、明確にすることが求められます。 そして話すときは「テーマ」を決め、その「テーマ」について私がどのような経験をしたか、私はどのように考えるのかを、「我々」ではなく「私」起点で話す。こうして対話を重ねると、政治的な対立で相反する主張をする方々を招いた「対話」が非常にうまく成り立つそうです。

 対話には、他者を理解することが可能になります。他者を理解することは、自分を理解することに通じます。

対話の場では自由な雰囲気を保ちつつ、場の経験を実践の中でも発揮するというシリアスは覚悟をもって臨むことが必要なのでしょう。

対話が変えた私の人生

 前職時代、しばらくコーチを雇っていた時期がありました。今から思えば、あの給与でコーチを雇っていた自分にビックリするのですが、彼女に背中を押され、私は15年以上通い詰めた劇団をすっぱり辞め、この職場を整えないと人として申し訳ないと思い込んでいた団体職員の立場をあっさり捨てたのでした。それは、説得されたのではなく、カウンセリングを受けたわけでもなく、ティーチングでもないとても自然な流れができたのでした

 本日は遅い更新なりました~。おやすみなさい。




 










京都で「知的資産とビジネスモデルの専門家」として、活動しています。現在は内閣府の経営デザインシートの普及に勤めています。