本を読む

映像作品をみているときと本を読んでいるとき、どちらのほうがより没頭しているだろうか。
これは個人的な好みの問題も大きいので一般的なことは言えないし、そのつもりもない。
私の場合、映像より本の方がながらで楽しむのが難しく、その分より没頭度は深くなる。

本を読み、きりの良いところで顔を上げたとき、本を読んでいた間の時間が何倍にも長かったように感じることがままある。
例えば通勤電車のなかで小説を読み耽り、目的の駅でやっと顔を上げたようなときには一日がもう過ぎてしまったような感覚になる。
この体感時間はその分、寿命に上乗せされるのか、あるいは天引かれてしまうのだろうか。
本を読んでいる間に年号ひとつ抜かしてしまったという話は聞いたことがないので、寿命に計上されるとしたら後者であるように思う。

そのように仮定すると、本というものは読めば読むほど、深く没頭すればするほど寿命を減らすものということになる。
これでは酒や煙草と横並びにして語るべきとなる。
酒や煙草には依存性があり、度を越して摂取すると他者が迷惑を被るという共通点がある。
この性質のため、限度のわからない子どもがこれらに触れないよう法律ができている。
本にも同じような性質がある。
読書家や本の虫などと呼ばれるやつばらは、まさに依存といって差し支えないほどには本を読み文字を摂取している。
また特に小説などを過度に摂取するものはやれ太宰だ、42だ、エフ氏だとそれぞれにさまざまなところから、ことあるごとに引用をひけらかすのだ。
こちらがそれらを知らぬとなれば、いつのまに湧いて出たのか徒党を組んで、やんややんやと静まることを知らずに騒ぎに騒ぐ。
このような性質はまさに酒や煙草と同じ類である。

近年は酒も煙草も続けるには金や外見を大きく損わなければ楽しみ続けること難しい。
この点において本を見ると、それらのように一度切りで終わることもなく何度も味わうことさえできる。
このように酒や煙草と同じ危険性がありながらそれらよりも安くながく楽しめてしまう本だが、規制を国が設けるのはまだまだ先と私は見ている。
規制のかからないうちにたんまり楽しんでしまおうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?