とある女性エンジニアの軌跡

の続き。

無事にエンジニアとして就職した後、仕事とプライベートの話です。

新人の頃

就職してまずは新入社員研修。マナー研修、MS-Office系の勉強、ホームページ作成課題なんかがあったかな。特に珍しいことはなかったと思います。

研修期間が終わったら、希望通り開発部門に配属。小さいプロジェクトに入って先輩に教わる事ばかり。

独立系とは言ってもORACLE代理店をやっていたので、ORACLEを使う仕事がほとんどでした。そのため、まずはORACLEのインストールから設定、データベースを作って壊してSQL書いて…を一通り覚えました。ORACLEを使うことは無くなりましたが、この頃に得たDB関係の知識は今でも役に立っています。

実際にコードを書くことも増え、仕事が楽しいと思える日々でした。

結婚。そして…

数年後、職場恋愛で結婚。翌年に妊娠がわかりました。

この職場、女性エンジニアがいなかったわけではないです。ですが、結婚退職するか、独身の先輩ばかりでした。(多くはないのですが)徹夜も厭わない雰囲気があり、それを嫌って寿退職の前例ばかりだったようです。

幸いにも私は徹夜が必要なプロジェクトに関わらずにいましたし、辞めるつもりは全くありませんでした。

でも、空気を読むなら退職を促される可能性も…?

当時の上司が力になってくれました。

自分が結婚したときに奥様が退職させられた事を非常に怒っていらして、「女性は結婚したら辞めなきゃ行けないなんて間違ってる!」と応援して下さいました。

そのお陰で色々と配慮して頂き、時差出勤をさせていただいたり、出産後どうやったら仕事が続けられるかの話し合いをさせてもらいました。

実はこの会社、既に在宅勤務されている方がいらっしゃったのです。20年以上前に、ですよ!(私も話を聞くまで知りませんでした)

「そういう前例もあるのだから、大丈夫」と社長からも了承を頂き、無事に産休に入るまで仕事を続ける事ができました。育休は、保育園に入れるのは4月しかないので翌年度の4月末まで取る予定を伝えてました。

1回目の産休育休

旦那は帰りが遅くて一人でいるのは不安なため、いわゆる里帰り出産を選択しました。

両親ともにまだ現役で働いているため、実家に帰っても昼間は私一人だったのですが、家事はやらなくていいし、母の職場は何かあればすぐ駆けつけられる距離でしたので、安心感がありました。

無事に出産して産後1ヶ月検診を終えてから、自宅に帰りました。

自宅に帰ってから保育園が決まるまでの時期が辛かったです。赤ちゃんは可愛いけれど、抱っこしていないと寝ない子で毎晩寝不足。泣き声にビクビクして、トイレにさえギリギリで駆け込んで慌てて戻ってくるような生活。気分転換にTV をつけようとさえ思えないほど追い詰められていました。今なら産後鬱とか育児ノイローゼとか言われる状態だったのだと思います。良い母親にならなければいけない、自分は我慢しなきゃいけない、自分で自分を苦しめていたのだと今なら分かるのですが、当時はとにかく辛かったです。

保育園の入園許可通知が来るのは1月下旬〜2月上旬頃でしょうか。フルタイム正社員実家援助無しなのに落ちました。自宅から徒歩圏内の保育園しか希望を出していなかった私も甘かったのですが、目の前は真っ暗。焦りましたね。市役所に問い合わせたところ、4月から0歳児保育が始まる園があって、そこならまだ空きがあるからと教えられ、急いで申込みしました。

そして無事に入園通知を手に入れ、面談と入園準備であっという間に3月が過ぎました。

4月に入園。慣らし保育といって最初の頃は数時間でお迎えになります。環境の変化に慣れてもらうためです。既に他の保育施設の経験がある子や保護者の都合によって期間は調節してもらえますが、大体1週間くらいが目安です。私は慣らし保育を見越して職場復帰を5月にしてもらっていたので、2週間の予定にしてもらいました。

ですが、2週間経っても慣らし保育は終わらなかったんです。
登園するようになると子供は体調を崩します。とにかく熱を出す。やっと1週間行けたと思ったら1週間休むようなことの繰り返し。丸1日保育園で過ごせるようになるまで1ヶ月かかりました。4月は登園できた日よりも休んだ日の方が多かったくらい。(でも、何とか職場復帰に間に合った!)

1回目の仕事復帰

育休明け、開発部門に復帰が叶いました。

復帰に向けて話し合いをしたことは、在宅勤務にすることでした。時間管理や情報のやり取りをどうするか。通勤時間を無くせば負担が小さくなって両立しやすい事を理解していただけていて、柔軟に対応して頂けました。自宅での環境は、大学時代から使っていたPCとモデムがあったので、すぐに作れました。(ダイアルアップで会社につないでデータのやり取りをしていました)

この頃の仕事は、社内で開発したミドルウェアに関するものでした。ミドルウェアを使ったイントラシステムの開発、提案資料の作成、サンプルコードの作成など。社外に出て、直接お客様の要望を聞いてコードを提供することもありました。

いつ呼び出しがあるか分からない状態だったので、仕事量は控えめにしてもらえていました。どうしても仕事が終わらない時は、子供が寝てから夜中にやることもありましたが、自分の体力が持たないので最後の手段にしていました。

この頃には基本在宅勤務、たまに出社という生活をしていました。

2回目の産休育休

復帰後の仕事も慣れて子供が2歳になる頃、二人目の妊娠が分かりました。

会社に行かないので周りの目が気にならないのも良かったのかもしれません。遠慮なく定時で退勤できたし、プライベートの都合だけで第二子を考える事ができました。

身重の体で上の子の面倒を見る自信がなかったため、今回も里帰り出産を選択。母は現役で働いていましたので最悪は一時保育も使おうと調べておきましたが、父が定年退職して家にいたので、よく父に遊びに連れ出してもらいました。実家なら広い庭があるため、目の届くところでもたっぷり体を動かせるのも良かったです。

無事に二人目の出産と1ヶ月検診を経て帰宅。

帰宅してから一人で二人見る時期はキツかった。。。とにかく自分がもう一人欲しい。そんな時期でした。

二人目も4月入園、5月仕事復帰でスケジュールを組み、上の子と同じ保育園に入園が決まってほっと一息でした。

2回目の仕事復帰

自分も会社も2回目という事でスムーズに復帰の話し合いが進み、特に問題なく復帰できたと記憶しています。仕事内容は、産休前と同じ自社ミドルウェア関連業務です。一緒に仕事をする上司も変更なかったので、やりやすかったですね。

ただ、子供が二人になった事で辛かったのは、一人が熱出すと、数日遅れでもう一人熱を出す。そして最後は自分が倒れるという…子育て家庭あるあるです(笑)

有休はあっという間になくなるし、今で言う看護休暇は当時はなかったので、会社と交渉して1日8時間から短時間勤務に。それでも仕事は充実していたし、遣り甲斐は十分感じていました。

3回目の妊娠

我が家的に大きな転機です。私は二人でいいかなーと思っていたのですが、旦那が3人兄弟だったこともあり、3人欲しいと言われていました。そこで私から出した条件が「育休をとること」。育児休業制度ができて数年経ったとはいえ、父親が育休を取るのはハードルが高い時代。(たぶん今でも)

旦那は悩むことなく「分かった」と。

そして3人目を妊娠して、いつも通り生活をしていたところ、切迫早産になりました。今までの2回とも産休ギリギリまで働けてたのに、です。薬を飲んでも治らず、ついにドクターストップがかかりました。診断書をもらって休業するだけじゃなくて入院するように言われました。理由は「子供二人いたら寝てられないでしょ」…否定できるはずはなくorz.

そこからは旦那が大変でした。会社関係や両実家に連絡し、私は入院、旦那は在宅勤務となりました。

私が入院していた約1ヶ月半、昼間は保育園に預けていたとはいえ、旦那のワンオペ育児期間でした。旦那の実家は新幹線の距離、私の実家は車で数時間の距離。とてもヘルプを頼める距離ではないし、どちらの実家も母は仕事をしていたので泊まり込みで手伝いに来て欲しいとも言えず。

本当に旦那は大変だったと思います。でも、この期間のおかげで育児の大変さが身に染みて、育児への関わり方が変わったのかなと感謝もしています。

3回目の産休育休

結局仕事に復帰することなく、そのまま産休突入。旦那に育休をとってもらったので里帰りはせずに夫婦で乗り切りました。

3回目の仕事復帰

復帰前の相談をした時に、会社から開発者としての仕事がないと告げられました。この頃、会社はオフショアに方針転換していて、社内開発はほとんどなく、以前と同じ席への復帰ができない。テスターとしてなら席を用意できるがどうするか、と。

悩みましたよ。プログラミング好きですもん。私が育休で休んでる間に、そんなに会社の方針が変わってしまったのかと嘆いている時間はありませんでした。

そんな時に、当時の会社の上役(今の社長)と先輩から「起業するから来ないか?」と誘って頂きました。新しいサービスを立ち上げるので、開発者として仕事を続けたいなら是非にと。

子供がいて在宅で仕事をしていたのも知っていて、そのまま在宅で仕事してていいなんて条件、探しても見つかりませんもの、迷いなく転職を決めました。

そこからは、Webサービスの開発をずっとしています。いわゆるLAMPです。この頃、旦那がオープンソース界隈でブログを書いたり勉強会に参加したりしていることをようやく認識しました。そのおかげで、初めて触るPHPに関して旦那から情報をたくさんもらいました。自分では仕事の時間以外で勉強する時間は取れませんでしたが、旦那経由で最新情報も詳しいアカウントも教えてもらって一気に進んだ気がします。

子育て真っ最中では、プライベートな時間を使って検証したり、勉強会に参加したりはほとんどできませんでした。そこを補ってくれたのは、旦那からの助言でした。たまたま同業者だったから、できたことではありますが。

そして今

転職して十数年、気がついたらずっと同じ会社で同じサービスに関わっています。自社サービスなので納期に追われることは無く(営業からのプレッシャーはあるけどw)、全員在宅でプライベート重視な働き方ができて感謝しています。

末子が小学校に入ると一気に楽になった気がします。自分の時間が取れるようになるというよりは、突発的な病気や怪我がなくなってスケジュールが立てやすくなった事、送り迎えがなくなった事が大きいです。そんな頃に、Twitterで #wlb_cafe という活動を知り、参加していた時期があります。今は活動停止していますが、ログは残っていますので子育て期の方なら役に立つ情報がたくさん載っていると思います。

女性エンジニアの噺としては、とりあえずここまでにしたいと思います。

次は、リクエスト頂いてしまったので、50代が近づいたエンジニアの噺の予定。

保育園の保護者会役員もやったし、小一の壁も経験したし、子供たちが少年団に入って大変だったり、PTAで役付きになってしまった事もありました。子供たちの受験も経験したし、成人式もありました。この辺りは、もしリクエストがあればポイントを絞って書いてみたいと思います。

最後に、プライベートの時間に勉強時間が取れなくてもエンジニアを続けられた人がいた事、実家のフォローがなくても仕事続けられた人がいたよ、とだけでも伝えられたら、と思います。

運が良かっただけ、かもしれません。諦めなかっただけ、かもしれません。子育てが辛いと思ったことは数限りなく、普通の人です。睡眠時間を削らなくてもいいんです。続けるためには頑張り過ぎない事が大切です。

皆様のキャリア選択の際に、少しでも勇気を与えられたら嬉しいです。



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