生い立ち④

地元の長野県でもコロナ患者が増えています。栃木県も2人/日程度ですが増えています。教え子の1人が、「寮が閉鎖になり帰省します」と連絡が。今はやめておけ、、と思う今日この頃です。

“Stay home” “keep distance”

もどかしさはありますが、我慢の日々です💦

さて、中学生編へ参りましょう。
中学生もクラブチームへ行きました。小学校の時の県TCの友達に誘ってもらい、セレクションを受けることに。そのチームが住んでいる地域から車で1時間半というものすごい遠い場所でTRをしており、「毎回通えるのか」「3年間やり切れるのか」という不安もありました。
チーム探しが始まり東信の強いチームや北信のオレンジのチーム(今はJ3ですね🍊)も候補として上がっていましたが、「3年間やりきる!」と心に決めセレクションを受けることに。
しかし、左足の怪我があってその頃は思うようにサッカーができてなかった気がします。しかし、県TCと言うことで多少のハンデをいただきなんとか合格。

ここからの3年間がものすごーく早い。
あっ と言う間に過ぎていく。

ここからは学年ごとにいきます⚽️
[1年生]
最初は、怪我もありなかなか全体に合流できず僕の苦手である「名前と顔覚え❎=顔見知り」の実力発揮📣
県TCのメンバー以外は全く喋れない。自分からなかなか声がかけられない。ほんとに困ったもんだ。

でもそれは時間が解決してくれた。
(本当はいけないんだけどね🙈)

一年生の時は公式戦はほとんどなくTRとTRMだけ。冬は雪が降るので体育館の日もあったり、、

当時のポジションはFW。
プルアウェイの動きが大好きなオフサイドマンでした🏴
でもその時はGK以外、ほとんどやりました。この経験がのちに大きなことに、、
(後日、連載します📖)

1年生の冬。当時の名称は「ナイキプレミアムカップ(全国大会名)」。長野県予選では、「TEPCO」と呼んでました⚽️(今はないのかな?)
グループ予選を勝ち抜き、トーナメントへ。優勝すると北信越大会への出場権を獲得でき、その後は全国へと繋がる大きな大会でした。
印象深いのは、予選トーナメントの1試合目。
相手は中体連の混合チーム。私はFWで出場。これがまた大爆発で、6得点(ダブルハットトリック✌️)をあげ、13-0?で勝利。そのまま勢いに乗り優勝する。(もちろんその後の試合も得点取りましたよ😏笑)

北信越大会の会場でもある新潟へ。(ぶーん🚌)
会場はグランセナ新潟の人工芝。プルピッチが2面、フットサルコートが2〜3面あったような、、(うっすらでごめんなさい😅)

確か北信越枠は2つあったような、、
だけら二回勝てば全国へ行けたんですよ🏆
1試合目はなんとか勝利し、決定戦の相手はアルビレックス新潟u-13。その当時、何人か北信越TCで仲良くなっていた選手がいましたが対戦ともなるとバチバチに🔱
残念ながら破れ、全国大会へあと一歩のところで負けてしまいました。

初めての全国大会が目前だったのでとても悔しく、たくさん泣いたような、、

・・・という感じで1年があっという間に過ぎていきました。

次回、中学二年生。
この年もなにかと起こるんですよね。問題が、、

※私のうっすらな記憶で書いています。
間違いもあるかと思いますが、その際はメッセージください✉️

最後に全く話とは関係ありませんが、栃木市の「大平山(おおひらさん)」という山からの景色を。
(2020.4.11)


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