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『ネット右翼になった父』を読んだ。

『ネット右翼になった父』講談社現代新書 鈴木大介著

 最近、ぼんやりと考えている「現代社会の分断」の話。
 いろんな視点で社会は区別・差別されているよなあと、これもまたはっきりではなく、モァーっと、漠然と感じることが多い。まあ、立場が違えば見え方が違うので、当たり前なんだけど。

 この本を読もうと思ったきっかけは、私も母との社会問題に関する見解がいつも面白い様に違うから。母は右翼ではないが、特に中国や韓国の問題に関して強い感情をもっているようだ。その手の話になると激昂してくるので、私はその話題は避けている。

 対して私は大学時代、留学するほど中国好き。留学している時もいろんな国の人と生活していた。
 仲良くなって、嫌な気持ちになったことなんてほとんどない。だから、他の国の人もどんどん日本に来て、日本を活気つけてくれるといいなあと思っている。おそらくこの考えが母との1番の違い。

 亡くなった父とは海外の話題も問題なくできた。父は為替の仕事についていたため外国人とのやりとりも当たり前で、中国や韓国の悪口も聞いたことがない。
 そんな家族が土台で育った私が、「父と母の考え方の違いはなんだったんだろう?」と思っていたので興味が沸いたのだ。

 この本は家族愛が土台になっている様に思う。
 自分が愛していた家族が、自分では毛嫌いしている種類の人間になってしまったんじゃないか。
 生きているうちは「譲れない信条」について喧嘩になると断絶してしまうかもしれない恐怖でその話題は避ける。
 でも、大切に思うことだから横目でチラチラ確認しながら、大好きな人が「大嫌いな発言している」ことを確認すると、わざわざ気を使って話題を避けていた自分の徒労感と「なんでそんなひどいことを言うんだ!」という憤怒と行ったり来たりしてしまう。

 鈴木さんは亡くなった後「本当の父の姿」を聞き込み、調査し、明らかにしていった。

 そしてびっくりするのはその過程で「本当の自分の姿」も同時に明らかになっていくのだ。
 なぜ自分は父を許せないと感じたのか、原因は父だけだったのか?
 
 当時の社会状況や自分の思考の変遷まで、丁寧に明らかにしていった結果、父と自分の姿が明らかになるところは圧倒された。子供にも読ませたい。


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