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〝ママが笑顔ならそれでいい〟に違和感を覚えるのはなぜだろう。

「お惣菜でもTVでも使えるものは使ったらいいんです。ママが笑顔でいることが一番大切なんだから」

ニュアンスは色々ありますが、よく聞くこの表現。

少しくらい楽していいよ。
そんなに頑張り過ぎなくていいよ。
ママが笑顔でいられるようにね。

これらはきっと優しさの言葉、救いの言葉として語られる。
でも、なんだか違和感を覚えます。


お惣菜を毎日買って、
私は笑顔でいられるだろうか?

ずっとYouTubeを見せて子供が静かなら、
笑顔でいられるだろうか?

時間は少しできるかもしれない。
楽できるかもしれない。

でも、そこになんだか
罪悪感や不安が同じだけ降りかかって
それこそ〝笑顔〟でいられる気がしません。

また極端な・・・と言われそうだけど。

どんどん楽しよう!→大賛成

でもそれがうまく出来なくて
楽した結果、自分を責めてしまうから
どんどん追い詰められるのでは?と思います。

じゃぁ、どんな風に毎日何十回と訪れる
ママとしての小さな選択をすればいいのだろう?

ふと、親友からもらった言葉を思い出しました。


「どっちの方が自分にとって〝軽いか〟で選びな」

そうだ、これだ。

今日はお弁当を買う方が、自分にとって軽い!
でも、YouTubeはやめて一緒に向き合って遊んじゃった方が軽い!
2日前もカレーだったけど、お惣菜買ってくるよりカレー2連チャンの方が軽い!

誰かの楽は、自分の心の楽と違うかもしれない。
だから〝自分の中の楽=軽さ〟に目を向けてみたら
少しだけ、気持ちがふわっとする気がします。

笑顔でいるってさ
そんな簡単じゃないですよね。

でも、やっぱり笑顔でいたいし
軽く軽く、振り返った時、すこしでも優しい色で
この育児の日々が記憶されていたら
嬉しいなと思います。

今日も、世界のママが少しでもふわっとした気持ちの時間を
過ごせますように。


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