元就(もとなり)の初陣(ういじん)と西国(さいごく)の桶狭間(おけはざま)その2(全3回)


この頃の安芸(あき)の国の強いお殿さまは、武田氏だった。武田といえば、甲斐の国の山梨県だけれども、安芸の国、広島にも武田氏の一族がいてね、勢力を拡げようとしていたのさ。ところがね、安芸の国には、もうずっと昔からいた国人(こくじん)と言われる強いグループの、毛利、天野、吉川(きっかわ)、平賀(ひらが)、小早川氏と鎌倉時代からの血を引くグループが30くらいもあってね、みんな協力しあって、武田氏に潰されないようにと助け合ったいたんだ。

永正(えいしょう)14年、1517年。毛利元就が21歳の時だった。銀山城(かねやまじょう)のお殿さまの武田元繁(たけだもとしげ)が山県郡(やまがたごおり)の吉川元経(きっかわもとつね)の領土に軍を率いて攻め込んできたんだ。そして、山県郡の有田城を攻めて来たのさ。有田城のお殿さまは小田信忠(おだのぶただ)だった。永正14年、1517年。10月、武田軍は有田城をぐるり囲んだんだ。そうしておいて、21日には、毛利元就がお殿さまの猿掛城のある 多治比(たじひ)にも攻めてきたんだ。毛利元就はね、すぐに本家の郡山城と近くの吉川氏にも援軍を頼んだんだよ。援軍とはね、助けに来てくれる家来たちのことさ。

22日、元就はね、有田城の小田信忠(おだのぶただ)を助けに行くために、家来たち300人を連れて有田城へと向かっていったんだ。有田城の周りのぐるりには、武田軍がいるからね、外側からと内側からと挟み撃ちをしようと思ったんだね。

今日はここまで。読んでくれてありがとう。
さて、明日は両軍の激突だよ。楽しみにね。お休み、ポン!

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