越すに越されぬ大井川 その2(全2回)


橋のなかった江戸時代、この川を渡る時には、人足(にんそく)に肩車をしてもらって渡ったというんだよ。人足は肩に人を乗せて向こう岸まで行くのがお仕事さ。そして、この川を渡らせてもらう料金は水の深さで違ったというんだよ。

「帯通」(おびどおり)は、水の深さが二尺五寸。76センチくらいで料金は48文だった。4文が100円くらいだから、1200円くらいかな。水の深さは大人の足の長さくらいかな。

「乳通」(ちちどおり)は、水の深さが三尺五寸。1メートルと6センチくらいで70文。だから、1750円くらいかな。水の深さは大人のお腹の高さくらいだね。

「脇通」(わきどおり)は水の深さが四尺五寸、1メートル36センチくらいだと、100文。だから2500円くらい。肩車してもらったってお尻が濡れちゃいそうだよね。

旅人たちは人足に肩車をしてもらって、どうどうと流れて行く水の中を渡って行くんだね。肩車をされていたって足の先は水の中かもしれないよね。いつ落とされるか、分かんない。二人とも命懸けだったよね。

もっと水かさが増して、これより深くなったら中止。大人の腋の下(わきのした)くらいから、もっと深い時さ。人足が溺れちゃうよ。その時には、旅人は水の深さが低くなるまで宿で待たなければならなかったんだ。

そして、明治になって、1879年にやっと島田市に、木で出来た吊り橋の蓬莱橋(ほうらいばし)が架かったんだよ。その長さは894.7メートルだって。こーんな長い橋だもん、川の幅だって広かったから、歩いて渡るのは大変だったよね。

これでおしまい。最後まで読んでくれてありがとう。
お休み、ポン!

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