上杉鷹山(うえすぎようざん)の頑張り その1(全2回)


なせばなる なさねばならぬ 何事も 
ならぬは人の なさぬなりけり

ポンと昔。これは江戸時代の山形県米沢藩の藩主だった上杉鷹山(うえすぎようざん)という人の超有名な歌だよ。
明和(めいわ)4年、1767年。第9代の米沢藩主となった上杉鷹山はまだ17歳だったよ。けれど、米沢藩は、超、超、貧乏だったんだ。貧乏な農民たちとお金がないのに贅沢(ぜいたく)をしたがる役人たち。農作物もたくさんは取れない。鷹山は若いながらも、財政改革をすることに決めたんだ。財政とはね、米沢藩で持っているお金やお米のことだよ。それを豊かにしようと思ったんだね。鷹山は自分自身も綿の服しか着なかったし、食べるものだって、農民たちと同じものを食べていたんだ。贅沢はしなかったんだよ。

なせばなる なさねばならぬ 何事も
ならぬは人の なさぬなりけり
(やるから出来るんだ。やらなけりゃ何をするんだって出来やしない。
出来ないというのは、自分がやらないから出来ないだ)

鷹山はこう言って頑張っていたんだ。鷹山は知識のある人たちから、いろいろ話を聞いて、米沢の土地と気候にあった良い産業はないかと、ずっと考え続けていたんだ。そして、女の人も子供たちも皆で働いて豊かになっていこうと皆に話していたんだ。

最初にそれぞれの現場で活躍してきた中級や下級武士たちをリーダーとしてね、殖産興業(しょくさんこうぎょう)のために、衣食住雑(いしょくじゅうざつ)の4つのグループの53品目のことを細かく調べさせていったんだ。殖産興業とはね、生産物をたくさん作っていくことさ。生産物とは、手や道具を使って人のためになるものを作っていくこと。衣食住雑の
衣は、着物のこと、織物のこと。
食は食べ物のことさ、お米や野菜くだもの鯉やどじょうを育てたりね。
住は人の住む家のことだね。
雑とは何か役にたつ道具、ざるとか、わらじとか、蓑笠(みのかさ)とかね。
こうして大がかりに養蚕方(ようさんかた)、農場方、漆方などの諸局を作っていったんだ。その中でも鷹山が力を入れたのが、養蚕だったよ。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
また明日、ポン!

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