蒲生氏郷(がもううじさと)と織田信長の爪 その3(全3回)
「もう一つは、ここにあったぞ。氏郷(うじさと)よ、お前は全くよく見ておる。賢きことよな。初陣(ういじん)が楽しみぞ。」
こうして氏郷は信長にその才能を見出されていったんだよ。大人になって武将となった氏郷は主君や家来たちをも大切にしていたし、合戦(かっせん)となれば、その作戦も良かったし、家来たちを纏める(まとめる)のも、うまかったんだ。それに、和歌を詠むことも上手だったとのことだよ。でもね、残念なことに重い病気にかかって40歳でなくなってしまうんだ。あと10年氏郷が生きていたら、歴史が変わっていたとも言われているんだよ。
「蒲生が子息(しそく) 目付(めつけ)常ならず 只者にては 有るべからず。我婿にせん」
蒲生賢秀(がもうかたひで)の息子は大層優れている。ワシの息子として娘をやろう。
信長がこう言ったと言うのさ。
織田信長はね、後々になってからもこの時のことをよく思い出しては家来たちに語っていたというんだよ。そうして、本当に自分の娘の冬姫(ふゆひめ)を氏郷のお嫁さんにしてあげたのさ。氏郷にとっては織田信長が義理のお父さんってことになるんだね。
けれど氏郷は残念ながら文禄4年の2月、40歳の時に重い病気にかかって死んでしまったんだ。あと10年長生きをしていたなら、日本の歴史は変わっていたとも言われているんだって。
限りあれば 吹かねど花は 散るものを
心みじかき 春の山風
命には限りがあって仕方ないけれど
このような病気にかかってしまって
春の風のように消えていくんだろうな
もっと長く生きていたかったよ
こんな風な気持ちだったのかなぁ。
これが蒲生氏郷の辞世の句(じせいのく)さ。辞世の句というのはね、自分が死んでいく時に生きている人たちへお別れの気持ちを和歌として作ったものをいうんだよ。
さぁ、お休みだよ。
最後まで読んでくれて、ありがとう。ポン!
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