足利多綱(あしかがただつな)と橋合戦(はしかっせん) その2(全3回)


そうとは知らない平家軍は声高く鬨(とき)の声を作りながら、勇気のある者から馬に乗って勇ましく橋を渡ってこちらにやってきた。先頭の者たちは馬と一緒に濁流の中へと勢いよく落ちていった。やぁやぁやぁと川を挟んでの罵り(ののしり)合戦となっていく。

ここに、平氏軍の中から若武者、足利多綱(あしかがただつな)18歳が前に進み出た。多綱は、褐(かちん)の直垂(ひたたれ)に赤皮の鎧(よろい)を着て、白月毛(しらつきげ)という馬に金覆輪(きんぷくりん)の鞍(くら)をおいて、馬に乗ったまま、鐙(あぶみ)に踏ん張り、つっ立ち上がって名前を名乗ると、
「以仁王(もちひとおう)のお味方よ。この多綱(ただつな)がお相手いたそう。」
この多綱、東国(とうごく)育ちとあって若いにもかかわらず、馬の扱いに長けて(たけて)いたんだ。多綱はね、宇治川を馬で渡って以仁王のいる平等院へ攻めるつもりだった。馬の扱いに慣れていない味方の平氏軍に大声で言ったんだよ。
「強い馬は上流に立て、弱い馬は下流にいれよ。馬の脚の届く限りは手綱(たづな)を緩めて歩ませよ。浮いたら引き締めて泳がせよ。馬の頭が沈んだら、引き揚げよ。強く引きすぎてひっくり返すな。馬には弱く水には強くあたるべし。敵に射られても射返すな。常に錏(しころ)を前に傾けよ。だが傾けすぎて天辺孔(てへんのあな)を射させるな。流れに逆らわず渡せや渡せ。」
錏(しころ)とは、兜から下がるカーテンのようなもので首を守るものだよ。天辺孔(てへんのあな)とは兜のてっぺんに開いている空気穴のことさ。だからね、前にかがみ過ぎて頭の中に矢を射こまれないようにせよ。という意味さ。
これに従った平家軍300騎は川を渡ることができたんだ。けれど、流された者は伊勢から応援に来ていた600騎だったというよ。こうして馬に乗って川を渡ることを馬筏(うまいかだ)というんだって。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
明日は最終回だよ、ポン!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?