上杉鷹山(うえすぎようざん)の頑張り その2(全2回)


養蚕とはね、繭(まゆ)を取るために、蚕(かいこ)を飼って育てることをいうんだ。蚕の吐き出す糸は、絹となるから、それを糸として絹織物を作っていくんだね。鷹山は蚕のエサになる桑の苗木を領民に配って植えさせていったんだ。そうして桑畑への税金は三年間は取らないこととしたんだよ。そして、養蚕の手引書を各農家へ配って生糸(きいと)をさくさん取れるようにとしていったんだ。出来上がった生糸は下級藩士の女の人たちが織物として織っていったんだ。これが米沢織だよ。米沢織は手触りが良くて丈夫だということで、江戸や大坂で評判になってね。藩のヒット商品になっていったんだ。他にもね、手漉き(てすき)和紙をたくさん作るようにしたり、陶器の技術を米沢に根付かせたりもしたんだ。子供たちだって、そこらじゅうの池に飼っている鯉にエサやりをしたり、ドジョウを取ったりしていったんだよ。

鷹山が藩主になって10年くらい経った頃。天候が悪くて農作物が全く取れなくなったことがあったんだ。大飢饉(だいききん)が起こったのさ。日本のあちこちで食べるものがなくて死んでしまった人たちがたくさんいたんだよ。けれどもね、米沢藩では、少しづつお米などを領民に分けていたので、米沢藩の皆はなんとか生きていくことができたんだって。鷹山は無駄遣いをしないで、ちゃんとお米も蓄えていっていたんだね。

米沢の人々は鷹山の恵みに感謝して、鷹山を「蚕の神」(かいこのかみ)として祀ったり(まつったり)、製糸業の開祖として崇め(あがめ)たてたりもしているんだって。米沢の人たちは上杉鷹山を誇りに思っているんだよ。

なせばなる なさねばならぬ 何事も
ならぬは人の なさぬなりけり

この鷹山の言葉を覚えて、パパママや先生に言ってみようね。かっこいいよ。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
おやすみ、ポン!

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