足利多綱(あしかがただつな)と橋合戦(はしかっせん) その1(全3回)


今日はね、平家物語の中から源氏と平家の戦い、橋合戦のお話しだよ。
平家物語というのは、誰が書いたのか分かっていないんだよ。琵琶法師(びわほうし)という目の見えない盲人の人たちが琵琶という三味線のような楽器を弾きながら、その平家の人たちのお話を語り継いできたんだ。1159年の平治の乱(へいじのらん)で源義朝(みなもとのよしとも)に勝ってからの平清盛(たいらのきよもり)一族のたった18年間のお話し。お金と権力を持っていた華やかな時のお話しさ。

ポンと昔。今から800年も昔の平安時代のことさ。第77代後白河(ごしらかわ)天皇の子供の以仁王(もちひとおう)は、{平氏を討てよ}という命令を東国の源氏軍へ出したんだよ。以仁王のお傍には、源頼政(みなもとのよりまさ)がいたんだ。ほら、鵺(ぬえ)退治をした弓のうまい頼政さ。

治承4年、1180年の4月のことだったよ。以仁王たちは京都の宇治市にある平等院(びょうどういん)のところで、敵の平氏軍を待ち受けていたんだ。平等院といえば、10円玉に描かれているお寺で有名だよね。平等院のそばには宇治川があって、宇治橋が架かっていた。東からは源氏軍の兵(つわもの)たちが大勢集まってきている。兵とはね、戦う者たちのことさ。いよいよだ。雨の後らしく水かさは増していて、どうどうとしぶきを上げながら勢いよく流れている。平氏軍は平知盛(たらのとももり)を大将に大軍2万騎で寄せてきているという。そこで、以仁王たち源氏軍は大急ぎで宇治橋の橋の途中から、二間(にけん)ほど壊して橋を切り落としておいたんだよ。二間とは、畳の2枚分の長さのことさ。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。ポン!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?