釜ひとつ(全1回)



今日はね、お風呂のお話しだよ。
ポンと昔、延宝(えんぽう)5年、1677年のことだよ。江戸の吉原2丁目から火が出て大きな火事になっちゃったんだ。お風呂も燃えちゃったんだね。そうして新しくお風呂を作ったんだけれど、その時に釜を一つしか作らなかったんだ。男女別にすると、二つの釜を作らなくっちゃいけないから、お金もかかるしね、そんなわけで赤ちゃんからお年寄りまで、男の人も女の人も、農民も商人もお侍さんも皆一緒に入ることになったんだね。火事になりやすいから、内風呂は作ったらいけなかったからね。この混浴が大評判になったんだって。この頃のお風呂は今とは違って、湯舟がなくって、熱い蒸気を出した蒸し風呂のことだったんだ。そうさ、サウナと同じだね。入口は蒸気を逃がさないように、扉の下の方だけが空いていて、そこからくぐって中へ入っていったんだ。
「冷え者でござる」
体が冷たいから、こういって入っていくのがマナーだったんだって。体が温まると、体をこすって垢(あか)を落としたんだ。ここには垢すりを専門にする湯女(ゆな)と呼ばれる女の人や、三助(さんすけ)って呼ばれる男の人たちがいたのさ。江戸にはね400軒ものお風呂屋さんが出来ていたんだって。この頃からも、日本人は皆お風呂好きだったんだね。

でもね、皆な裸だと、痴漢(ちかん)がよく出たんだって、痴漢とは、触ってもいいよと言っていないのに他人の体を触ることをいうんだよ。だから、狭いお風呂の中は痴漢が出ると大騒ぎになっちゃったんだね。そこで、寛政(かんせい)の改革をした松平定信(まつだいらさだのぶ)とか、天保(てんぽう)の改革をした水野忠邦(みずのただくに)たちが、混浴禁止令を出したんだよ。だけど、ちっとも効き目がなくて、ずっと混浴は続いていったんだ。

今では水着を着て入る混浴のお風呂があったり、裸んぼうで入る混浴もいくつかはあるそうだよ。

今日はこれでおしまい。
最後まで読んでくれてありがとう

お休み、ポン!

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