相模の獅子(さがみのしし)の涙 その2(全3回)


火縄銃の音にビックリして、バカにされた氏康(うじやす)はね、はっとして恥ずかしさのあまり小刀(しょうとう)を抜いて自害しようとしたんだよ。短い刀でお腹を切ろうとしたんだね。それを見た氏康のお守り役がね、氏康の手を押さえていったんだ。
「猛けき武人は物に驚くものです。気の強い馬が不寝番(ふしんばん)に役立つのは、物に驚くことを褒めてのこと。」
(強い武将はビックリするものですよ。気の強い馬が役に立つのは、すぐに驚いて大事を知らせるからですよ)
と優しく教えてくれたんだって。そんな氏康はね、「日本三大奇襲戦」の一つの川越夜戦(かがごえやせん)1546年で大勝利を挙げているんだ。氏康8千の味方で山之内、扇谷(おおぎがやつ)上杉家と古河公方(こがくぼう)の8万を超える連合軍を相手に勝つことができたんだよ。そうさ、素晴らしい作戦と知恵があったのさ。
「戦の道は兵力の大小ではなく、心の和と不和にある。小敵と雖も(いえども)あなどれず、大敵と雖も恐るべからず」
(戦いは人数の多さじゃない。少ない相手と思って気を抜いてもいけないし。大勢いるからといっても怖がり過ぎることもない)
こんな風に考えていたんだ。氏康はね、夜中でも味方どおしが討ちあわないように、真っ暗な中でも目立つように白い紙を鎧(よろい)の上にかけて戦うようにしたんだって。これなら、真っ暗な夜中でも白い色は味方だと分かるからね。こんな工夫をしていたんだね。

永禄(えいろく)2年、1559年に氏康は次男の氏政(うじまさ)に家督(かとく)を譲ることにしたんだよ。家督とはね、北条氏康が持っている土地やらお金やら考え方なんかを若い氏政、に渡すから、リーダーとしてしっかり北条家を守ってよ、ってことなんだ。

今日はここまで。
さて、北条家はどうなっていくのか。
また明日、ポン!

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