書評 縄文とケルト、ついで自分の思うこと

紀元前3000年前後のイギリスと日本の文明を比較し、遺跡や祭祀後などの比較考察をする本。

本編の大半は遺跡の描写と考察でお腹いっぱい楽しめる本なのだけど、以下のようなところがまた面白かった。

型式学的(人間は情報共有しながら試行錯誤して新しい形を探すので古墳や副葬品などの形の変移も合理的な軌跡をもつという前提の研究手法)なアプローチと、炭素年代測定の結果は結構相反していて、相互連関なく似たような文化が発生していたり、単純化したあと複雑化し、また単純化するような読めない形の変化も起きているかもしれないということ。

全体的に歴史学的なアプローチというより、人間も動物の一種として環境変化に適合してきたという目線での学術的アプローチの視点が次第に重視されていること。

気温低下に伴う対処として肥沃な土地への集合、文化形成という三大文明的な動きとともに、より小さな集団での資源管理という形での生存戦略があったということ。

青銅器とともに貧富の差をもたらしたまれびととして、縄文からの先住日本人にとっての渡来人や、イギリスの先住民族にとっての中央アジアからきたケルト民族があり、交配も進んでいくのに、日本人は東アジア民族、文化にたいして自己のアイデンティティーを感じるというより渡来人としての外人として歴史的な説明を継続し、英国の一部ではケルトに対して自己のアイデンティティーを感じている。これは、異民族支配に対する危機をどこまで感じてきたかの差異によるものかもしらんということ。我々が世界で一番遺伝的に近しい民族を嫌って生きていることは非常にばかばかしく思える。

どの話も、自分のなかの先入観をやわらげるものだった。

そして、マーケティングしながら消費地にアピールして、輸出して、ネットで繋がってデータ回して民泊してグローバルに生きていこうぜ農村の未来的な話と、地域の繋がりで補いあって貨幣経済から少し距離をとった方が豊かに生きられるのではないか的観点が、明るい農村ストーリーのなかでは往々にしてごっちゃに語られているような気がしていたのだけど、上記の話を読んでこのもやつきとのリンクを感じたのだった。

自分は地方経済について何も分かっていない。普通に農業するだけで購買しなきゃいけないものは沢山あるし、現代の生活維持するのは、どんなに素朴ライフだって金銭必要ですよという話と、お金使わなくてこんなに生活できるって都会に住んでたときには全く思いませんでしたという話の両方にある真実をきちんと吟味できる経験値もない。所詮子供を生んだこともないのに、悪阻とか産後うつとかの話をしているくらいの浅さなのだ。それでも、知らないからこそ、少しずつ知って、できれば何かしらの貢献をしてみたいと思っている。

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