第二の古則、第五の古則、ケイに向けて(ブルーアーカイブ最終編3章感想、およびエデン条約編感想補記)

「理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか」
「楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか」

最終編3章「ウトナピシュティムの本船(2)」
エデン条約編1章「プロローグ」

 このメモはブルーアーカイブ最終編3章の感想となります。2023年2月25日現在実装済のあらゆるブルーアーカイブのストーリーに関するネタバレが含まれる可能性があります。ほぼメインストーリーの話に終始する予定ですが、念のためご注意くださいませ。最終編3章は更新当日に16話まで読了して現在に至るまで放心し続けていますが、今の状態を書き残しておこうと思い筆を執りました。特に「二つ目の古則」に着眼点を置きながら、何ら深読みや考察を行っていない甚だ浅い感想とはなりますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

【追記】
2023年3月10日現在、七神リンが補足した七つ目の古則の記載が本記事のそれと異なります。己に"たがい"とルビが振られたのです。これにより、この古則の読み方は全く異なってきますし、現在私はこのメモで抱いていた感想と異なる思いを色々と抱いていますが(よりこの古則が好きになりました)、当時の感想を当時のまま置いておくことに意味はあると思っていますので、このまま加筆修正せずにこの記事は置いておきます。

「二つ目の古則」について

 念のため、そもそも七つの古則とは何かというところからおさらいしましょう。七つの古則とは「キヴォトスに古くからある七つの問い」のことです。トリニティ総合学園屈指の知恵者である百合園セイアはエデン条約編1章プロローグの印象的な語りの中で、「少々理解に困る言葉の羅列」と、連邦生徒会主席行政官七神リンは冒頭の引用箇所において「答えがあるのかも、何を問うているのかも不確かな戯言」と述べています。最終編3章で語られた「二つ目の古則」は、このような極めて掴み所のない一文であることに注意が必要です。エデン条約編で一つの答えが示された「五つ目の古則」についても長い道のりが必要であったように、「二つ目の古則」についても今の段階ではその全貌をみせておらず、極めて浅い段階での感想ということでご容赦いただければ幸いです。

 さて、この「二つ目の古則」について文字だけを見たときの私の感想を残しておきましょう。私は当然のことならが思い切り的外れな第一印象を抱きました。この問いは、論理実証主義的観点から見た形而上学的対象についての問いだと読んだのです。エイヤー、あるいは前期ウィトゲンシュタインを思い浮かべるとわかりやすいかも知れません。たいへん皮相な読みをしてしまったわけですが、「二つ目の古則」の字面だけをみて「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という『論理哲学論考』の一文が思い浮かんだオタクは多いと思います(そして、この神秘的な一文に惹かれて安いし薄いからと『論理哲学論考』に手を出して心を折られたり、あるいは私のように副読本と並べて読んで読んだ気になっている駄目人間も多いと思います)。私は本当に駄目なオタクなので、「五つ目の古則」をはじめて見たときも「ある」ということについての哲学的な問いなのだと解釈して過ちました。オタク、すぐ自分のジャンルに引き付けて解釈しようとしますからね――いえオタクが悪いのではありません。私が愚かなのです。ですが、文学的、美学的、哲学的道具を使って世界を解釈しようとするゲマトリアのマエストロやゴルコンダ&デカルコマニーなんかは、私と同じような過ちを犯してくれるのではないかなと勝手に思っています。私たちのような人間は問いの内容を掴むところから失敗する問い――として七つの古則があるのだとしたら、それはとても魅力的なことです。

 もう少しだけ脇道の話を続けます。連邦生徒会長のことです。私は連邦生徒会長の人柄について完全に見誤っていました。彼女の言葉から、勝手なイメージを作り上げていたのです。

「……私のミスでした。」
「私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況。」
「結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて……。」
「……今更図々しいですが、お願いします。」

プロローグ

  プロローグ。あるいははじまりの物語。なぜかわからないけれど見返すと涙がボロボロ溢れてきて感情が限界になってしまうこのくだりに、私の連邦生徒会長のイメージは縛られていました。連邦生徒会長はその選択の中で何らかのミスをしてきた人で、そして先生の方が正しかったと彼女は認識しています。私がそこから思い浮かべていた人物像は、トリニティ総合学園ティーパーティーの現ホスト、桐藤ナギサの疑心暗鬼時代であったり、あるいはミレニアムサイエンススクールのビッグシスター、調月リオが近しいものでした。連邦生徒会長としての絶大な権力と、SRT特殊学園という絶大な武力を振るい、超人としての力と知恵のままに駆け抜けて、誤った人。そんなイメージでした。穏やかで柔らかな先生と、対比になるような人なんだろうなと思っていました。

 ですが、どうしても。七神リン――リンちゃんと話す彼女の姿はそうは見えないのです。毅然としているどころか、柔らかく。ふんにゃりとしていて。「誰がリンちゃんですか」だなんて怒られる姿は先生と重なって。ミステリアスな話、オカルト、オーパーツに興味を惹かれる姿はビッグシスターよりもむしろ「全知」明星ヒマリをさえ思わせます。連邦生徒会長がどんな人なのかまだ名前さえ知らない私なのですが、少なくとも「リンちゃん」がとても大切に思う彼女が血塗れで自分のミスだったと告白する姿を絶対にそのままにしてはおけないと、強く思っています。

 さて、二つ目の古則についてはひとつの特徴があります。実際にそうなのかはともかく、この問いは不完全な問いだと認識されていることです。

「……文章が未完成、なのですね。」
「はい。「理解できないもの」を通じて、「何」の理解を得られるのか。目的語が抜けているのです。」

最終編3章「ウトナピシュティムの本船(2)」

 ここに至って、私はまた主流から外れた読みをしました。もしかしたら、回収されるのかもしれませんが、たぶん誤っていると思われる読みです。「理解できないもの」と言われて私には思い浮かぶものが一つありました。それは、「色彩」でした。

「解釈されず、理解されず、疎通されず――ただ到来するだけの不吉な光。目的も疎通もできない不可解な観念……。」

エデン条約編4章「対決」

 「不可解」という言葉はブルーアーカイブにおいて、特にゲマトリアが頻繁に使用するものです。その言葉で頻繁に形容されるのは「先生」を除けば「色彩」でしょう。上の表現は「色彩」を表す際に何度か印象的に用いられてきました。この最終編の主要な敵役でありキヴォトスを終焉に導きさえするもの。「色彩」を通じてさえ、「何かについての」理解を得ることができるのか。私はこの答えを持ちませんし、そもそも「二つ目の古則」は「色彩」のことなど眼中にもないかもしれません。ただ、「色彩」についての上の考え方は誤っていることが示唆されています。

「「色彩」は意志も欲望も目的も無い不可解な観念であると――そう解釈していたのですが。」
「この行動においては、明確な「意志」と「計画性」を感じます。」

最終編2章「色彩の嚮導者」

 ゲマトリアが当初想定していたようなあまりにも不可解に過ぎるもの。そこから何らかの理解を得ることはできるのか――この問いについての答えは私にはありません。ただ、狼の神を確保し死の神としてキヴォトスを終焉に導こうとする「色彩」が「意志」あるものであるならば、それはきっと補われた「二つ目の古則」の射程が捉えるものだと思うのです。だからあるいは、もしかするとこの古則と「色彩」が繋がることもあるかもしれない、と私は今思っています。

 欠陥がある、文章が未完成であると表現される「二つ目の古則」は七神リンによって補われています。私の以下に続く感想もそれに則って進んでいきますので、最後に補われた問いを確認しましょう。

「理解できない他人を通じて、「己」の理解を得ることができるのか」

最終編3章「天上の遙か彼方へ」

 「二つ目の古則」についての私たちの理解はおそらく不十分でしょうし、この補足が正しいものであるのかもわかりません。ですが、最終編3章を見届けた私には一つだけ確信を持って言えることがあります。七神リンが補ったこの問いに対して、それはできるのだと答えるべきなのです。ここからがやっと本題です。前置きで3000字を超えています。おかしいですね。

連邦生徒会長とリンちゃん

「……リンちゃん。」
「きっと私たちは、永遠にお互いを理解する事なんて、できないと思う。」
「リンちゃんにとっての私は、きっと理解ができない不思議な存在――」
「そして、私たちはお互いが交わらないまま――別々の道を歩むしかないんだと思うの。」
「それがきっと――この世界の真意なんだ。」
「……でも、それでも構わない。」
「たとえ、理解できない存在だったとしても、」
「お互いにとって、相手が実体のない風のような……」
「隙間を通り過ぎていく――そんな存在だったとしても構わないの。」

最終編3章「天上の遙か彼方へ」

 この会話を聞いて、きっと哲学勢ならば思い浮かぶアフォリズムがあります。ニーチェの『悦ばしき知識』における「星の友情」です。ニーチェはモモフレンズのMr.ニコライのモチーフのひとつでしょうから、何かしらブルーアーカイブと縁のある哲学者ではあります。この「星の友情」は疎遠になり、敵対さえしてしまうようなかつての友情をうたったものです。友情を抱き合っていた二人は全く同じ所から同じ目的地を目指しているかのように見えていたけれど、いずれ軌道を遊ぶ星であるがゆえに別れを告げ、遠ざかっていく。かつて友であり、今敵であったとしても、むしろそれによってこそ二人の友情はいっそう聖なるものとなるべきなのだ、と語るものです。

 このアフォリズムと連邦生徒会長の言葉は、おそらく全く違います。「星の友情」においては、若き二人が港から出港し同じ目的地を目指しているかのように見えたことは、振り返った過去において誤っていたことが確かめられたとしても、その過去においてきっと信じられていたはずです。

 連邦生徒会長は違います。道を別つ別たない以前に。そもそも「人と人とは永遠にわかり合えない」と最初から認識しているのです。そして、「星の友情」では触れられていたひとときの交わりですら否定され、交わらないまま別の道を行くと彼女は言います。彼女のそれはニヒリズムでしょうか。きっとニヒリズムの話でもあるでしょう。では、それはエデン条約編で語られた「Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.」の再演でしょうか。少し違うと私は思います。

 ニーチェにおけるニヒリズムには二種あり、ひどく単純化するならば、虚無に囚われる在り方を消極的ニヒリズム、そこから積極的に価値を創造していく在り方を積極的ニヒリズムと称しますが(あまりに単純化しすぎていることをお詫びします)、白洲アズサと連邦生徒会長は明らかに後者です。それでも、ふたりのそれはやはり違うのです。

 白洲アズサは全てが虚しくても足掻くと決めています。それは彼女の個としての姿勢です。自分の在り方を示す態度です。連邦生徒会長の態度はそれとは異なります。彼女のニヒリズムは他者との関わり方を示す態度だからです。

「理解できない他人を通じて、「己」の理解を得ることができるのか」

 リンちゃんが完成させた文に対して、連邦生徒会長は「好き」だと言っています。その答えは連邦生徒会長が大切にしまっておくことになりますが、リンちゃんの言葉を「好き」だと言った彼女の答えたきっと肯定的なのだと私は信じています。(そしてブルーアーカイブはしばしば裏切ってくるので恐怖しています)

 二つ目の古則は、「永遠に理解できない、道が交わることもない他人と関わることにいったい何の意味があるんだ?」という問いへの肯定的な答えを示すためのものだと私は信じています。なぜなら、この問いに肯定的な答えを返すことは、学園と青春の物語の使命だと私が信じているからです(普段の私は、肯定的でも否定的でもどうでもいいじゃないか、という態度なのですが、不思議ですね。なぜでしょう、キヴォトスの生徒たちに対してだけは、そんな気持ちなのです)。理解できないとしても、たとえ道も交わらないとしても。それでもその実体のない風のように隙間を通り過ぎていく誰かが自分自身のことについての理解すら与えてくれる。メインストーリー最終編3章は、そのことを証明してくれたように思います。 

黒服と先生

「あなたは、絶対に己を理解できないだろうと豪語しておりましたね……ええ。私は今もなお、あなたという存在を理解する事などできません。」
「何故、既に定められた運命を変えられると考えるのですか?」
「何故、破滅を迎える運命にあえて突き進むのでしょうか?」
「……今一度。お聞きします。」
「……何故? と。」

最終編3章「天上の遙か彼方へ」

「この学園都市における莫大な権力と権限。そしてこの学園都市に存在する神秘。その全てが、一時的にとはいえあなたの手の上にありました。」
「しかし、あなたはそれを迷わず手放した。」
「理解できません。」
「一体その選択に、何の意味があるのですか? 真理と秘儀、権力、お金、力……その全てを捨てるなんていう無意味な選択を、どうして!」
「……言ってもきっと、理解できないと思うよ。」
「……」

対策委員会編2章「大人の戦い」

 ブルーアーカイブにおいてこの「二つ目の古則」と最も切実に戦っているのは誰か、と問われると「それはゲマトリアの黒服ではないか」と私は思うのです。私がゲマトリアと先生の関係に強く惹かれていることは先のメモでも語りましたが(「エデン条約編およびゲマトリアおよび聖園ミカおよびその他たくさんのことについて」)、それを措くとしても黒服の言葉にはどこか切実な響きがあります。

 最終編3章を読み返した先生は、どうか対策委員会編2章「大人の戦い」を読み返していただきたいのです。きっと5分もかかりません。しかし、きっと読み返すと強く思うところがあるはずです。本節の引用では最終編と対応する箇所を持ってきましたが、これ以前にも黒服は何度も何度も先生に対して「なぜ?」「どうして?」と問いかけます。理解できないあまり「なぜ?」という言葉を何度も繰り返すほどの取り乱しようすらみせます。最終編の会議で「大人になりましょう」だなんて落ち着き払った言葉を放つ彼がです。

 少し脇道に逸れますが、そもそも、ゲマトリアは不思議な人たちです。ブルーアーカイブにおいて「大人」とは「完成された存在」であったり「成長の果てに至った存在」であったり、そのようにシナリオライターであるケンシロウの顔をしたピカチュウからは語られています。ところが、ゲマトリアが信じる先生との関係性は次のとおりです。

「黒服はあなたを仲間と認識し、互いに競い合えると信じ。」
「マエストロはあなたを理解者と認識し、互いに高め合えると信じ。」
「ゴルコンダはあなたをメタファーと認識し、互いを通じて完成されると信じ。」
「そして私はあなたを敵対者と認識し、互いに反発すると信じています。」

エデン条約編4章「邂逅」

 特にマエストロとゴルコンダなのですが、妙ではないでしょうか。成長の果てに至っているのに「互いに高め合う」とはどういうことでしょう。完成された存在であるのに「互いを通じて完成される」とは? あるいは、この二人は先生を通じて「二つ目の古則」から「己」について何かを得ている実感があるのかもしれません。だから、上のような関係性を信じることができるのかもしれません。そして、これは後に述べることなのですが。最終編3章において、「仲間」とは非常に重要な意味を持ちます。このメモを書いていて、黒服が先生を「仲間」だと認識していることに、私はとても動揺しました。今気づいたのです。たぶん、このメモを最後まで読んでいただくとそのことの強い意味を感じていただけるのではないかと思っています。黒服にとって、先生は「仲間」である。いくらなんでも、このことが二人の関係の答えとして強く描かれることはないと思っているのですが……そんなことをされたら私はちょっと本気で黒服×先生を推しかねません。

 大人とは「負うかどうかはともかくこの世界に責任のある人のことだ」ともピカチュウは語っていたはずです。もし、「二つ目の古則」の答えとして黒服が先生を通じて「己」について知ることがあるのであれば、その実感なのかもしれない。そうふと思いました。先生は黒服の問いに対して、ずっとそれが「大人の責任」だからと答え続けています。そのことが、黒服の心に届く日がくるのでしょうか。あるいは、黒服を通じて先生がなにか「己」について知る日は来るのでしょうか。黒服は、ずっと先生に警告を発し続けてきました。「大人のカード」についてもそう。ウトナピシュティムの本船の起動についてもそうです。先生は、一顧だにしませんでした。

 そもそも、もしかしたら。黒服は「他者とは理解不能な存在である」という前提自体に抗っているのかもしれません。先生を理解したいと努力し続けているのかもしれません。それは、楽園に手を伸ばす行為です。不可能な証明です。だとするならば、彼は。「五つ目の古則」に向き合っているのかもしれないとも、思いました。

 ちょっと切ない気持ちで私は二人を眺めています。ゲマ先沼、生徒×先生では絶対に味わえない関係性があるのでマジで深いですよ。浸かってみませんか? 私のおすすめです。

ベアトリーチェと先生

「ええ、マダム。これで明らかになりました。」
「――先生はあなたの敵対者ではありません。これはあなたの物語ではないのです」
(中略)
「あなたは主人公どころか……先生の敵対者でもなく、ただの「舞台装置」だったのです。」

エデン条約編4章「少女たちのためのキリエ(2)」

 ベアトリーチェ。この人はたぶん、理解できない他者を通じての己の理解に失敗した人です。先生を自らと反発する者と判断し、先生を敵対者とした主人公にベアトリーチェは自らを置こうとしていました。その自己認識は誤っていることが、ゴルコンダにより冒頭のとおり示されています。彼女はどこで間違ったのでしょうか。

「ええ、この儀式はキヴォトス外の力を利用し、私がより高位の存在になるために用意されたのです。」
「そうして高みに登り、この世界を救う――それこそ大人が到達すべき境地!」

エデン条約編4章「Agnus dei」

「私を誤解している。」
「私は大した存在じゃない。」
「私は審判者ではない。誰かを審判する権利は、私にない。」
「私は救済者ではない。この世界の苦痛を消し去ることはできない。」
「私は絶対者ではない。この世界の罪悪をなくすことはできない。」
(中略)
「では……あなたは一体何だと言うのですか!!!」
「あなたの能力は、存在価値は何だというのですか!」
「生徒たちのための先生だよ。」

エデン条約編4章「Agnus dei」

 彼女は少なくともひとつの過ちを犯しました。ここでは、彼女が崇高に至ろうとしたこと自体を指摘するのはやめます。少なくとも誤っていたのは、彼女の先生に対する認識です。「全ての生徒を審判することも、救うこともできる絶対的な力を有すあなた」と上の引用部の話でベアトリーチェは先生を定義しています。先生はそれに対して、自分は「審判者」でも「救済者」でも「絶対者」でもないと否定しているのです。このことは何を意味するでしょうか。ベアトリーチェは少なくともキヴォトスの生徒に関しては「救世主」と表現されるような相手を仮想敵とし、それに相対するに十分な力を備えて「この世界を救う」と断じたのです。仮にベアトリーチェが先生と敵対するのに必要な力を備えていたとしても、その相手たる先生は「審判者」でも「救済者」でも「絶対者」でもないのです。彼または彼女にはそう呼ばれる者のようなことはできません。だから、そんな人を「敵対者」としてしまったベアトリーチェが世界を救うのに必要な力を備えられなかったのは当然のことなのです。彼女は敵対すべき相手を見誤りました。彼女は「救世主」に敵対しようとして、「学校の先生」と敵対しました。たぶんそれが、彼女の悲惨な失敗を招いたのでしょう。仮に先生に勝てていたとしても、彼女は世界を救えなかったと思います。世界を救うに際して相応の敵を選出するという作業で、彼女は誤ってしまったからです。計算を誤った彼女は「舞台装置」に成り下がりました。

 ゴルコンダはきっと、学園と青春の物語において主人公たる先生に刃向かったからだと思っているのでしょうが、これはどうでしょう。彼の「テクスト」「記号」による世界の読み解きには一定の説得力があるように思われますが、私は手放しでは信頼していません。特に、最終編で世界設定として学園と青春の物語を支えるサンクトゥムタワーが崩壊してなお学園と青春の物語を終わりになんてさせないとばかりに立ち向かっている先生と生徒達を見ていると、そう思うのです。フランシスは破局へと至る最終編の物語の主人公として先生を指し、それが「テクスト」として先生に力を与えているのかあるいは更に奪ってしまったのか定かではありませんが、ひとつだけ言えることがあります。そんなことは関係ないのです。そのことは、既に宣言されています。

誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます!
私たちが描くお話は、私たちが決めるんです!
終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです!
私たちの物語
私たちの、青春の物語を!!

エデン条約編3章「私たちの物語」

ミカとサオリ

「アズサ、お前なら……正解が分かるのか?」
「アズサ……私は……。」
「――幸せに、なれるだろうか?」
「どうすれば、私もお前のようになれるだろうか。そんな機会は存在するのだろうか? 私が、そんなことを願ってもいいのだろうか……?」

エデン条約編4章「もう一人の私たち」

「私も……幸せになりたかった……。」
「私も、あなたのように……先生にもう少し早く会っていたら。
そうしたら……過ちを取り返せたのかな……って思ってた……。」
(中略)
「あなたは……私だよ、サオリ……。」

エデン条約編4章「もう一人の私たち」

 他者を通じて「己」の理解を得ることについて、ひどく遠回りをしたのはこの二人でしょう。傷ついていくアリウススクワッドと自分から離れて幸福へと歩み出した白洲アズサを見て、錠前サオリは己を周囲のすべてに苦痛を撒き散らす「疫病神」だと定義しました。聖園ミカは傷ついた百合園セイアと周囲からの糾弾により自らを「魔女」と定義しました。他者を通じて悲痛な自己認識を獲得したふたりです。この営為を示す言葉があります。

「他者との接触は地獄である……互いが憎しみ合うことで、その実在を証明しているに他なりません」

エデン条約編4章「対決」

 この二人が行っていたのは、楽園の存在証明の逆。地獄の存在証明でした。

 そんな二人の「赦し」は「二つ目の古則」の大前提を崩す一歩からはじまります。他者は「理解不能」なはずなのに、聖園ミカは「あなたは私だ」と断言します。続く一歩もそうです。現れた先生とミカの問答は象徴的です。

「私はミカがどんな子か知っているから」
「私がどんな子なのか知ってる……?
――私の何を、知ってるの?」
「私は……「魔女」だよ」
「何か勘違いしてない?
先生、ちゃんと私を見てる? この姿を――私が犯した罪を。」
(中略)
「ミカは魔女じゃないよ。」
「ミカは、人の言う事を聞かないだけの不良生徒だ。」

エデン条約編4章「無限の可能性」

 他者が理解不能ならば、なぜこのような発言が可能なのか。その答えをエデン条約編ではもう出し終えています。「五つ目の古則」への答えは、そこに楽園があると信じることでした。他者の心という証明不可能な命題に挑戦し続けることでした。「同じ存在だから」「サオリを赦さないことは自らの救いを断つことと同義だから」とサオリを赦したミカは最終的にアリウススクワッドを赦します。しかし、サオリに最後の一撃を加えることができなかったあの瞬間と、慈悲の奇跡が流れたあの瞬間には一つ決定的に違う箇所があります。アリウススクワッドを赦したあの瞬間の聖園ミカは「公平」さを捨てています。自分に救いは訪れないと諦めて、それでも秤アツコを救うことで自分自身をも救えばいいと祈ります。このときの聖園ミカは、自分自身の姿をまるで理解できていませんでした。だからこそ。

「私の大切な生徒/お姫様に何してるの!!」

エデン条約編4章「大切な人」

 救いなどないと思っていた自らを他者に大切な存在だと叫ばれました。地獄の存在証明は「二つ目の古則」に塗り替えられました。きっと先生がいなくても、それはなされたでしょう。聖園ミカの側には、ホストとしての全てを投げ出してでも彼女を救おうとした幼馴染みと、彼女のために迷い無く本質を手放した友人がいるのですから。

「……お願い致します、皆様……
ミカさんを、救ってください……。」

エデン条約編4章「これからの私たち」

「他に選択肢は無いのだろう?」
「ふむ、迷いなく断じるとは……友のためかのう……?
――お見事。」

最終編1章「破局」

アリスとリオ

「もっと理解しやすいよう、貴方たちの好きな「ゲーム」に例えましょう。」
「つまり、「アリス」。
貴女は――」
「この世界を滅ぼすために生まれた「魔王」なのよ。」

時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章「残酷な真実(1)」

「リオ先輩……アリスに謝らなくても大丈夫です。」
「……もちろん、貴女は私を許さないでしょうけれど……」
「――許す必要はありません。」
「なぜなら……仲間同士は、言葉にしなくても気持ちが伝わるものですから。」

最終編3章「「勇者」の資格(1)」

 他者との接触は地獄である――地獄の存在証明を覆す力が、「二つ目の古則」の答えにはあります。聖園ミカが錠前サオリを自分だと言ったこと。先生が聖園ミカは魔女ではなく不良生徒であり、そして大切な人だと言ったこと。天童アリスの場合は特殊でした。

「自分が誰なのか、それは自分自身で決めるものだよ!」
「アリスは、ただ自分がなりたいジョブを選んで転職すればいいんだよ!」
「戦士、騎士、魔法使い、僧侶――なんでもいいよ、アリスちゃん」

時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章「自分がなりたいもの」

 彼女に味方する人は天童アリスに強制しませんでした。ただ無限の可能性を提示しただけです。けれど、「魔王」のジョブに固定されてしまったと感じていた少女にとって、自分にはそれだけの可能性があるのだと教えられたことは間違いなく、救いであったことでしょう。そして、救済された少女は決してただの女の子ではありませんでした。

「先生は、アリスのなりたい存在はアリスが決めていい、と言いました。」
「アリスは「名もなき神々の王女」で、「ゲーム開発部」のメンバーで――
「ミレニアムの生徒」で、「シャーレの生徒」です。」
「アリスは……「魔王」で「勇者」です。」
「……アリスは、アリスが望んでいる「アリス」です。」

最終編3章「「勇者」の資格(1)」

 彼女は最終的に全てを受け入れました。「名もなき神々の王女」も「魔王」も自分なのだと言いました。それを含めて自分の望む自分なのだと言いました。そこには一つの理由があります。「名もなき神々の王女」であり「魔王」であるからこそ振るうことのできる勇者の武器があるからです。かつてエリドゥをキヴォトス崩壊の起点にしようとした「アトラ・ハシースの箱舟」さえも、世界を滅ぼす兵器でなく、世界を救う勇者の武器にするのだと彼女は言います。「名もなき神々の王女」であること、「魔王」であることが彼女の在り方を阻害しないでしょうか。絶対にありえません。彼女はたくさんの冒険の果てに、大好きなジョブについてひとつのことを信じました。

「誰かを助けたいと思う気持ちこそ――
「勇者」の資格であると、信じています。」

最終編3章「「勇者」の資格(1)」

 誰かを助けたいという気持ちを抱いて戦う限り、天童アリスは勇者です。「名もなき神々の王女」であっても「魔王」であってもそれは変わりません。彼女がキヴォトスを救うために「アトラ・ハシースの箱舟」を起動すると言うのなら、それは勇者が剣を振るうということと何の違いもないのです。

 アリスは、そうやってたくさんの人に愛されて勇者として戦いに臨んでいます。そんな彼女は、ただ調月リオに「仲間」だと言いました。自らの存在についてたくさん考えたアリスにとって、それは当然のことだったのかもしれません。アリスにとって、リオは「この世界を守るために、誰よりも頑張った人」です。誰かを助けたいと思って頑張る見習い勇者にとってそんなすごい人が仲間になってくれることは、満面の笑顔でお礼を告げるべきことなのです。ただし、彼女はそんなリオのジョブが何であるのかについては一切口にしませんでした。きっとそれは「自分自身で決める」ものだからでしょう。

 最終編3章のリオは心が痛くなるくらい見ていて辛かったです。彼女はどれだけの言葉を浴びせられても反論しませんでした。そして、その上で絶対にウトナピシュティムの本船を下りようとしませんでした。ヒマリに不要だと言われたときですら、彼女の言葉が聞こえるすぐ側にいました。きらきらと輝く学園と青春の物語を載せた船に自分が乗っていることの意味をわかっていながら、それでも絶対に自分の力が必要になるからと。自分がどれだけ苦しくても、他人がどれだけ不愉快に思っても、リオは救うべき世界のために絶対にそこだけは譲りませんでした。実際、調月リオがいなければおそらくウトナピシュティムの本船は、疲労を重ねた明星ヒマリの計算ミスによりまともに飛ぶことすらできなかったでしょう。そしてなにより、ウトナピシュティムの本船はアトラ・ハシースの箱舟に辿り着けなかったでしょう。「ウトナピシュティムの本船」で「名もなき神々の王女」に「プロトコルATRAHASIS」を実行させる。後輩が可愛くて仕方がない超天才清楚系病弱美少女ハッカーには絶対にできない発想です。あの場所で調月リオしか思い至ることのできる人はいなかったでしょう。もし、世界を救うことができたならば。それは絶対に、天童アリスのかけがえのない仲間である調月リオのおかげなのです。

 たった独りで膝を抱える調月リオが、独りであり続けることはないと私は信じています。彼女に寄り添っているのは複数の他者から伝えられた「調月リオは世界を救う人である」という二つ目の古則だけではありません。「仲間同士は、言葉にしなくても気持ちが伝わる」。天童アリスは、証明不可能なはずの他者の心と通じ合えることを確信しています。それが当たり前のように楽園を信じています。どれだけ心を閉ざしても、他者の心という証明不可能な宿題に助けたいという気持ちを伴って挑み続ける限り、勇者天童アリスに不可能はないと私は信じています。勇者とそのパーティーメンバーに不可能はない。そのことは、時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章で、すでに証明されている真実です。

ケイとアリス

「アリス……?」
「それは、あなた達が私たちの「王女」を呼ぶ際の名称……。」
「「王女」に名前は不要です。
名前は存在の目的と本質を乱します。」

時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章「王女のためのパヴァーヌ(1)」

ケイ
<<私の大切な……アリス>>

最終編3章「「勇者」の資格(1)」

 「名もなき神」「無名の司祭」「王女」「鍵」。彼らに通じるひとつの強固な思想があります。徹底的に名付けを避けることです。その理由は時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章でケイ――Keyが告げているとおりです。最終編「「勇者」の資格」において2つめの引用のとおりの演出が行われました。時計仕掛けの花のパヴァーヌ編1章ラストのクリフハンガーとして似た演出を記憶している人も多いでしょう。「ケイ」が「アリス」を大切だと言ってくれたこと。そのことに存在しないミレニアムサイエンススクールのタオルを振り回しながら私は狂喜乱舞していました。その数分後、号泣しながら嫌だ嫌だと叫び回り数日経った今になっても引きずることになるとも知らずに。

 ケイちゃんは本格的な登場を果たした時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章の時から少しだけ可愛らしい性格の片鱗を見せてくれていて、私は狂う予感がしていました。時計仕掛けの花のパヴァーヌ編1章でモモイのゲームガールズアドバンスSPに入ることにかなり不承不承だった彼女もケイちゃんだったとしたら、その頃から可愛らしさの片鱗を見せていたことになります。おそろしい世界破壊未遂者です。無名の司祭が業の深いロリコンであることは論を俟ちません。

 ケイとアリスの最初の関係は敵対的でした。「王女」と「鍵」としての関係を強調するケイを拒絶し、アリスは光の剣での一撃を加えました。しかたのないことです。ケイは大切な人を傷つけようとしていましたし、アリス自身の大切なものも否定していました。けれど、アリスは仕方がないでは済ませませんでした。

 自らが「魔王」だと呼ばれてひどく苦しんだアリスは、ケイも世界を滅ぼす道具としての認識により苦しんでいるのではないかと思ったのです。

 他者とのコミュニケーションによる地獄の存在証明よりも、もしかしたら更に根深いかもしれない根本的な存在意義としてケイは世界を滅ぼすものとして存在していました。けれど、「二つ目の古則」はケイにも届きます。

 ケイだってケイ自身がなりたいものはケイが決めていいのだとアリスは言いました。そのことに誰かの許可を得る必要はないとも。ケイという名前は、そのことを祝福するかのようなものです。「鍵」という呪いから彼女を解き放っていながら、呼び間違えなのだからそこには特別な理由も目的も意味もありません。アリスと同じように、彼女は選びたいものを選ぶことができます。そのことを優しく諭し、ケイに苦しまないでほしいと願う勇者の心を知って……ケイはプロトコルATRAHASISを実行します。

 通じ合ったふたり。世界を滅ぼすプロトコルが世界を救う詠唱に反転する流れ。それを引き継いだアリスの、畳みかけるようなEXスキルボイスの連打。熱くならないはずがありません。約束された4thPVのシーンです。私は最高に気持ち良くなっていました。

 ケイは確かに、ウトナピシュティムの本船で「アトラ・ハシースの箱舟」の起動プロセスを開始することがいかなる結末を招くか警告していたのに。

 アリスが消えていくことをよしとしなかったケイは目尻に涙を浮かべてその不条理を拒絶し、勇者が消えていくことをよしとせず、世界を滅ぼす道具である自らが消えることを選択します。彼女が「アリス」に向けた最後の願いは、「自分に謝らないこと」でした。

 ケイは、この願いについてどれほどのことを理解していたでしょうか。「鍵」に対して「王女」が謝る必要などないからそう言ったのでしょうか。それはありえない話だと思っています。ケイは、ケイとしてアリスの名を呼びました。だから、これはケイからアリスへのお願いなのです。なぜアリスはケイに謝る必要がないのか。それは、アリスがリオを許す必要がないのと同じ理由でしょう。「仲間同士は、言葉にしなくても気持ちが伝わる」からです。そのことが、ケイの最後のお願いだったと思っています。自分もアリスの仲間であると、謝らないことで証明してほしかったのだと、そう私は感じました。アリスが自分に謝らない限り、自分はアリスの仲間だと証明され続けることになります。文学的でたいへん美しい結末だと、ゴルコンダなら言うかもしれません。

 それでも。それでもです。私はまだ見ていないものがあるのです。ケイは消えていく最後の瞬間、自分を世界を滅ぼす「道具」だと言いました。それではだめなのです。二つ目の古則への答えはそんなに無力なものではないと信じたいのです。ケイは「鍵」である。よいでしょう。ケイは世界を滅ぼす「道具」である。それも認めましょう。ですが! 「誰かを助けたいと思う気持ちこそ――「勇者」の資格」であるならば、あのときケイは間違いなく、「勇者」でもあったのです。「「勇者」の資格(1)」では、世界を救いたいというアリスの気持ちが勇者の資格を証明していました。そして、「「勇者」の資格(2)」でその資格があることを証明したのは、ケイであるはずなのです。そのことにケイが気づかないまま「道具」と自認して消えていくのはあまりにも寂しいではないですか。「学び」と「教え」が満ちている学園と青春の物語において、その機会が掌からすり抜けていくことは絶対に受け入れてはならないと思うのです。「勇者」でなくともよいのです。ケイが、ケイ自身の望む何かになりさえすれば。そうなったと自覚することができれば。アリスの「仲間」というアリスに付随する定義だけでなく、「ケイとは○○なのだ」と自らを示すなにものかになれるのなら。それだけで私はよいのです。

 勇者とそのパーティーメンバーに不可能はないのなら。学園と青春の物語が、苦しいことがあっても誰もが最後は笑顔になれるハッピーエンドに至る物語であるのなら。私は絶対に、ケイを諦めません。

 ケイちゃんが復活し、ケイちゃんが実装され、ケイちゃんがあの決め台詞をEXボイスで口にするまで私は絶対に諦めません!!!!

「王女は鍵を手に入れ、箱舟は用意された。」

時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章「王女のためのパヴァーヌ(1)」
最終編3章「「勇者」の資格(1)」

さいごに

 枚挙に暇がないので割愛しますが、二つ目の古則と五つ目の古則を思わせる記述は大量にあります。主にエデン条約編と最終編を振り返りましたが、ぜひイベントストーリーなどを含む様々な話を今一度振り返っていただきたいです。先にも述べましたが、私のオススメは対策委員会編2章「大人の戦い」です。黒服が先生を「仲間」だと認識していること、それを念頭に置いて彼をぜひ追ってみてください。

 あと、ほんとうにケイちゃんの件が苦しいです。ケイちゃん助かりますよね? 学園と青春の物語は幕を下ろしましたが? うるさいフランシスまだまだ続けていくんだよ。私はケイちゃんが復活してミレニアムの色んな子たちからちょっかい出されつつ、アリスにガン攻めされてたじたじになっている姿が見たいんです! 今までのようにアリスの中にいてもいいですし、別ボディでもいいです! とにかくケイちゃんには学園と青春の物語の主役に立つ資格があると信じています!! 名前の横に所属の青字をつけろ!!!

 ブルーアーカイブ最終編3章、最高でした。僕がこの世に生を受けてから、大量の書物と文字を読みあさってきましたが、今最高の体験をしていると確信しています。狂わせてくれて、ありがとうございます。今私はとてもしあわせです。この記事を午後7時頃から書きはじめて現在午前1時半頃なのですが、振り返るつもりでついストーリーに魅入ってしまいボロボロ泣きました。目が痛いです。妄想設定でいいです、アリス×ケイSSの供給を、ほんとうにお願いいたします。多次元解釈のちょっとした応用で……本当に、何卒、何卒……精神が耐えられんときがきているのです……

 1万6000字近く、最終編で受けたダメージの一部を叫び続けてきましたが、見守っていただきありがとうございました。3章16話ショックとか一切触れていないのにこれなのバグでしょ……最後にもう一度、二つ目の古則の答えが世界をこえないのだとしても、言わせてください。

 ケイは勇者です。

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