「災害時」における「災害ゴミ」問題を考える
起こっては欲しくない災害。でも、それを止めることはできません。災害が起こった時に何が起きるのか?なにができるのか?
それを考えておくことがとても大事なことだと思います。
今回のお話は「災害ゴミ」に関して。
よほどの事がない限り、報道されることはありませんが、災害が起こった時に、「災害ゴミ」というのもとても大きな課題となります。トップ画像は、熊本地震の時の写真なのですが、こんな場所があらゆるところにできました。大量に、本当に大量のゴミ、ゴミ、ゴミ。
震度7。これだけの規模の地震を受けると、本当に家中のものが散乱します。キッチンの皿は全部床に落ち、ありとあらゆるものが倒れたり。それはそれはもう本当に大変な状態となります。
キッチンのところですが、こんな感じですね。
こうなってしまうと、ほとんどのものが使えなくなってしまうので、ゴミとなる。災害を受けた人すべてがゴミを出すので、それはあれだけのゴミとなるね、って感じですね。
という感じなのですが、熊本地震時が起こったのが2016年なのですが、ここで捨てられていたゴミに関して、
「ブラウン管のテレビ」が大量にゴミとして捨てられていた。
という事実がありました。
2016年、もうこの時にはテレビは薄型化して、ほぼすべての家のテレビが液晶テレビに変わっていたときだと思います。そんな時にでも、なぜブラウン管のテレビが!?
おそらくなのですが、「ゴミの処分にはお金がかかる。えーい、このどさくらに紛れて、今まで捨てれなかったゴミも全部捨てちゃえ!」と思って、捨てた人も数多くいたのだと思います。おそらく、被災していない人からも。
確定ではありませんが、ボラティアなど多くの人が被災地に集まりますので、被災地の道は大渋滞。それはそれは混乱の状態となります。被災している人なのか、ボランティアなのか、全然関係のない人なのか、全く分からない状態となります。
何度も災害ゴミを見るたびに、「人って、本当にゴミとなるものをたくさんつくり続けているんだな、持ち続けているだな」って感じました。自然のものを活用していれば、それは自然に戻る。自然に戻らないものが、こうやってゴミとして集まっているんですからね。
2020年の球磨地方での豪雨災害の時にも、「災害ゴミ」が大きな問題となりました。この時は、地震と水害の被害の違いも強く感じました。水害の場合は、水に浸かるもので、地震よりも更に多くのものが「ゴミ」と化します。大量の「ゴミ」が被災地で生まれます。
なるべく早く「ゴミ集積場」が出来上がるのですが、、、そんな中でも人は難しいもので、「ゴミが捨てられているところに、よし俺も」という人が出てきます。そして、それがどんどん広がって、、、「許可されていない勝手なゴミ捨て場」と化します。豪雨災害では、そんな勝手に出来上がったゴミがとても問題となりました。(私達も知っている民間の団体が中心となって、そのゴミを分別、処理を何日もやって対応していました)
なんで、勝手に捨てるのか?
これは「分別」というところも関係するのかと思っています。日常のゴミを捨てるとき、「ゴミの分別」がありますよね?そしてそれがどんどん細かくなっている。
実は、そんなルールがほぼそのまま災害時にも適用されます。あんな混乱している時に!?一気に大量のゴミが出るときに?
ゴミを適切に処理するためには、仕方のないことなのでしょうが、、、、そんな一つ一つ分別していたのでは、キリがない。そんな状況もあって「えーい、捨てちゃえ!」という人も多く出たのではないかと思います。
災害時におけるゴミ問題。
日常生活から、何か考えることがあるなと感じました。SDGsがやたらと騒がれている昨今ですから、「モノの循環」に関してもきちんと考えていきたいですね。「災害」とは直接関係ないですが、「日常から使うモノ」に関して地域で考えるようになっていると、いざ災害が起こった場合にでも「災害ゴミ」に関して、何か変化があるかもですね。なんたって、「災害ゴミ」の処理で多くの人と時間がとられますから。処理作業が少しでも減るようであれば、その分人と時間を別のものに使えますからね。
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