違いから生まれる豊かさを認める

リヒテルズ直子さんのイエナプラン講座からのメモです。自宅でZoomで。昨日は半分からしか参加できませんでしたが、印象に残った言葉を。

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子どもの強みをほめること。そうすれば子どもも他者の強みに気づくことができる。その強みがどう社会で活かされるのか、世の中でどんな意味を持つのか・・・まずは教室という小さな社会の中で、それぞれの子どもの強みが意味を持つ場を作る。子どもの力が生かせる機会を作る。

違いを持った人が合わさったときに豊かさが生まれる。お互いがその豊かさを感じ合う。教師がその豊かさを認める。

学校を健全にしていく上で(社会全体でも同様だが)、つながれない人とどうつながるか、どう受け入れあうかが肝心。違うからこそ自分の見えていないものに気が付くことができる。他者を受け入れられる自分になる。

学校でビジョンが共有されていれば、サクサク物が言えるはず。ビジョンの共有できていれば、意見の対立を受け入れられて当然になる。

ブロックアワーは「枠組み」。その中で子どもが自分で考える。学校はwhat / where / when / how を全部決めてしまっている。例えば、「何を」「どこで」学ぶかは先生が決めるけれど、「いつ」学ぶかは子どもが決める。・・・そんな風に少しずつ子どもに手渡してゆくことが大事。

1日の終わりに「今日は快適に過ごせた?」と子どもたちに問いかけて、問題があった子が「嫌な気持ちになった」と答えられるようであるといい。その子は自立心が強く育っている。

「異年齢での学びにおいて年下の子が年上の子を嘲笑したら?」という質問に対して⇒嘲笑すること自体が注意すべきことで、年上も年下も関係ない。教師はその権力を使ってはっきりと伝えるべき時がある。「権威主義」とは、その権威を自分のために使うことだが、「権威」それ自体においては、教師がそれを発揮することで子どもだけでは解決できないことを自由放任にならずに整えることができる。

自分自身がイエナプランの目指す人間像たるように努力すること。

大人は、子どもの避難所・隠れ家を作っていいるだけでいいのか。一時的な避難所は必要だけれども、根本的な問題を抱えている「学校」を変えていくのは大人の責任でもある。不登校や生きづらい子どもがいるのは100%学校の責任。でも対立や批判では変わる機会はない。教師も学校の中で迷いながら試行錯誤している。文科省やそれぞれの自治体、様々に働きかけて仕組を変えること。理解し合える人たちと横につながること。運動の輪を広げていくしかない。

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Zoomに参加した時には、マルチプルインテリジェンスの話の最中で、マッチングとストレッチングについての話がありました。能力は変化するから固定化しないことが大切であり、自由遊びの中からよく観察をして子どもの力を見つけることの大切さについて話がされていました。

子どもの能力を見つける大切さ。私にとってそれは「喜び」でもあります。人生にワクワクが大事だとしたら、私の大きなワクワクの一つは、その人の内側に何か信頼できる力や賭けてみたいと思える希望を感じる時。それが見えやすい環境や、見つけられるような自分自身のアンテナと心の余裕を大切にしたいと、改めて思います。

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