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20歳になって半年が過ぎた

ようこそ、いらっしゃいませ。
道楽夜怪のnoteでございます。
今回は、私が20歳になって半年が過ぎた感想を書いていきます。


ざっくりとした感想

一言で感想を言うなら、「もうこんなに生きたんだな」ですね。
20歳と言えば、「なにかやりたいけど年齢的にできない」が無くなる歳です。
お酒も飲める、タバコも吸える、免許や資格もお金や難易度の問題がクリアできれば、ほとんど取得可能。
その代わり全てが自己責任ですけどね。

年齢の枷が大嫌いな過去

私は子どもの頃、年齢でなにかを縛られるのがとてつもなく嫌いでした。
例えば、地元にあったとある公園。
その公園では、ゴーカートを運転することができたのですが、1人でゴーカートを運転できるのは10歳からだったのです。
昔はそれが嫌で嫌で仕方がなかったのをよく覚えています。
一応親子向けの2人乗りゴーカートはあったのですが、子ども側はアクセルもブレーキもなかったはずです。
ハンドルは操作できるのに、なんでアクセルもブレーキも操作できないんだと憤慨していました。

R15の映画

他にも、R15の映画を15歳の時に3人で観に行ったことがあります。
15歳2人と、後輩の14歳を連れて。
うっかり後輩のチケットを中学生料金で買ったら見事に年齢確認をされて、その後輩は映画を観ること無く1人で帰って行きました。

そんな「年齢の枷」が完全に無くなったわけです。
だからと言って、別にギャンブルに手を出すとか、タバコを吸ってみるとか、解禁されたこと全部やろうとはなりません。
ただ、なんと言いますか、「〇〇歳になったらこれしてあれして〜」みたいな夢物語を考えることもできなくなり、単純に「面白くなくなったな」という感想ですかね。

人生の半分を矛盾して過ごしている

しかし、私が20歳まで生きるとは……人生何が起きるかわかりませんねぇ……
私は小学3年生の頃から不登校になり、その時にうつ病の症状が発症し、後に双極性障害(躁鬱病)の診断を下されました。
何が言いたいかというと、要は小3から未来に絶望して〇にたかったんです。
実行しようとして止められたこともあります。
そして、未だに自分の命は大した価値が無いと思っています。
小3といえば9歳です。
人生の半分を〇にたいと思いながら過ごして来てる。
矛盾していますよね。
私は極度のめんどくさがり屋なので、〇ぬために努力するのは嫌なんです。
「いつか〇ぬ運命なら、その時を待つ」それが今の方針です。
そしたらぜーんぜんその時とやらが来ないので、ここまで生き延びちゃいましたね。

年齢の枷増えてない?

あと、年齢の枷は取れましたけど、今度は選挙だとか税金だとかで逆に枷が増えたような気もします。

締めの言葉

そんなこんなで、特段なにか面白い話でもない、ただの私の感想でした。
お読み頂きありがとうございました。
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