「百五〇年の孤独」を巡って

 2017年末~2018年1月末までいわき市は泉地区で開催されたカオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」。キュレーションの完成度ゆえ、その優位性が目立って指摘されている。ここではそのようなキュレーション優位問題ではない、「百五〇年の孤独」をみた感想をまとめてみたいと思う。

かつて泉は過剰な廃仏毀釈を経験した。そこから復興した寺院は現在2つのみ、生者と死者は分断され百五〇年の孤独を生きている。そのことを「復興の失敗」と捉え、311以後に生きる私たちの現在の風景とオーバーラップさせる。
そして市街劇一番の要であるのは第2会場の「新しい寺を作る」ことだろう。
確認しておきたいのは、この市街劇が過去と現在の 「復興」の問題を扱っており、とりわけ「死者との繋がり」に焦点が当てられているということだ。

泉は寺がない。仏式の墓がない。
かつての人々にとって、寺やお墓が死者と繋がる手段だったかもしれない。
過剰なイコノクラスムにより、死者との繋がりが分断されたのかもしれない。
しかし現代の私たちにとって、死者との繋がりは当時と同じではないはずだ。
廃仏毀釈は「集団ヒステリー」だった。
しかし、「死者との繋がり」において「復興」は本当に「失敗」だったのだろうか。

私も家族を3人なくしている。祖母1人と祖父2人、全員仏式のお墓に入った。
なのでお彼岸やお盆、お正月の「お墓参り」は恒例行事である。
とまあ、自分の話になってしまうのだが、そんなお墓参りは私と亡くなった家族とを繋げてはくれないのだ。
お墓参りは祖母や祖父が亡くなった悲しみを癒してはくれないし、繋がりを助けてくれるものではない。
私と死者との繋がりとは、 かつて一緒に生きた記憶や思い出、私の中にこそあるのであって、仏教や、お墓や、風習にあるのではない。
曾祖父や父親の兄など、お墓に親族の名前が刻まれていても、関わりがなけばお墓参りをしても繋がりは生まれない。
逆に血の繋がりはなくとも、死者について身近に感じられる場合もある。なんにせよそれは仏教のおかげではない。

第一会場で渡される手紙の中で、黒瀬氏はこう綴っている。

「泉には仏教がない。ということは、地獄もない。勿論浄土もない。死者はいまどこにいるのか、なにをしているのか、想像する方法そのものがない。もし、泉の人たちが、宗教に一切頼らず、死者のことや死後の世界について、一切思い悩むことがない存在にまで「現代化」しているのだとすれば、それはそれで何も問題ない。だとすれば葬式も墓もいらないはずだろう。でも、実際にはそうはなってない。泉には葬式もあるし墓もある。ただ、生者と死者をつなぐ世界だけが、ない。」

今でも宗教は必要とされている。死の恐怖も死後の不安もある。
しかし、その地区に寺がないからといって地獄を知らないわけではないし、仏教について何も知らなくても葬式やお墓は必要だったりする。
少なくとも現代の私たちはそうだろう。
周知のように人間の心は合理的にはできていない。
もっといえば廃仏毀釈以前から仏教ではない別の方法(別の宗教)で死者との繋がりをもっていた人だっているはずだ。

現在「復興」とはなんだろうか。「死者との繋がり」とはなんだろうか。
それは泉や被災地だけの問題ではない、私たちの問題である。
このような重要な課題を担う「新たな寺」は、 なぜ死者との繋がりにおいて仏式の寺や墓が必要なのか、そのような問いをすっぽり抜きにして作られているようにみえてしまった。
仏教が死者との繋がりを助けてきたのはわかる、廃仏毀釈からの復興の失敗を現代にオーバーラップさせることもわかる。
しかし「新たな寺」は、なぜ「仏教」の「寺」である必要があるのだろうか。

もうひとつ、かつて寺は徳川幕府に守られた役所でもあった。この役所仕事への反発は廃仏毀釈が起こる原因の1つでもある。
そのことは市街劇で触れられている行政への違和感と、仏教や寺を単純ににらみ合わせることができないことを意味している。
仏教や寺は純粋な信仰の場所ではなかった。

以上が市街劇「百五〇年の孤独」を巡り、沸き上がる興奮を覚えながらも、ふと感じた違和感であった。
キュレーションの優位性うんぬんは方法論の問題だと思うので、拙い文章ながら市街劇の内容に触れてみようと思った。

「新しい寺」が「復興」の一つの形であるならば、そして「現代美術」をもってして作られたこの寺が現代における美術や宗教を問い直すものであるならば、この市街劇を通して私たちが引き受ける問題もまた、方法論だけにとどまっていてはいけないはずだ。

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