南北分断と日本の責任2

アメリカとソ連の朝鮮政策は対象的でした
 ところが日本軍が撤退するのと入れ替わりに、南部にはアメリカ軍が、北部にはソ連軍が進駐してきました。
 アメリカ軍が仁川に上陸したのは9月8日のことでした。ソ連軍はそれより先でした。8月24日には先遣隊が平壌に進駐していました。ソ連軍は朝鮮半島全体を制圧し、日本軍を武装解除させる時間が十分あったのですが、アメリカの提案を受け入れました。
 提案の内容は

 「日本本土とそれに付属した島嶼、北緯38度線以南の朝鮮およびフィリピン大本営、その指揮官、またすべての陸海空軍は、太平洋方面米陸軍最高司令官に、華北地方と38度線以北はソ連に降伏する」


 つまり、38度線の北をソ連の支配に置くという内容でした。
 38度線での分割は、深く考慮されたものではありませんでした。
すでにソ連軍は、朝鮮半島2人の若い大佐が、雑誌の地図をにらんで、あたふたと決めた線でした。

38度線は2人の若者が引いた線でした
 38度線を引いた1人は後に国務長官となったディーン・ラスクでした。日本が無条件降伏した8月14日(米現地時間)、アメリカとソ連が合意できる境界線の設定という任務を与えられました。アメリカ軍はできる限り北に設定したいと考えていましたが、兵力の限界もありました。その接点を2人の若者が探ったのです。
 ラスクは、1991年に出版した自伝『As I Saw It』の中で次のように回顧しています。

「私は夜遅くに隣の部屋にこもり、朝鮮半島の地図と取り組んだ。緊急で、そして重圧がのし掛かる大変な任務、アメリカが占領する範囲を決めなければならない。私たちは朝鮮の専門家ではなかったが、首都ソウルはアメリカ側に入れるべきだと感じた。アメリカ軍が広い範囲の占領に反対していることも知っていた。そこで、ナショナル・オグラフィックの地図を引っ張り出し、ソウルのすぐ北にぴったりの境界線はないかと探してみた。目に入ったのが、緯度38度の直線だった」

 30分ほどでまとまったこの提案に、米軍の上部機関も、ソ連もあっさり同意したのでした。

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