金鍾泌元首相のこと

 韓国の政治家、金鍾泌元首相が92歳で亡くなった。彼と1度だけ会った記憶が蘇った。
 ソウル支局に勤務していた2001年2月27日のこと。日本の記者たち会いたいと金氏から申し入れがあり、ソウル市内の新羅ホテルで懇談した。
 すこししゃがれた、迫力のある話しぶり。韓国の政界が中心で、「ならぬ堪忍、するが堪忍といいますね。政治の秘訣はこれです」と日本語で話した。
 金氏の日本語のうまさは伝説的だ。1962年に日韓国交正常化交渉を大平正芳外相と行った時のこと。
 息苦しい会談の雰囲気を変えようと、金氏は「私たちは、何としてもホトトギスを鳴かせなければならない」と話かけ、日本側の譲歩を迫った。
 日本人がよく知る故事を使ったことで、無表情だった大平氏は「小さな目を見開いた。驚いた表情だった」と金氏の自伝にある。
 「私はもの心がつく前から日本語を学んだ。あなたの国の歴史を知っている」と続け、そこから交渉が急進展したという。
 金氏は、「これから定期的に会いましょう」と話したが、この日の懇談の内容が韓国の新聞に漏れて大騒ぎとなり、次の懇談は開かれなかった。
 

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