訪ねてみた「旧満州」


2013年6月1日

長い間行って見たかった国があります。それは地図上にない国、満州です。私の田舎は長野県の茅野市というところです。

長野では南信と呼ばれていて、戦前は農業しかない貧しい地域でした。すでに80を大きく超えた私の父と母は、「満州」に行くことを真剣に考えていたそうです。

中国では国でないという意味で「偽満州」と呼ばれています。自分の土地が持てる、開墾しただけ自分の土地になる、そんな夢のような話を真に受けていました。たまたま2人は満州には行きませんでしたが、長野県からは多くの開拓民が満州に渡りました。

そして、何人かは残留孤児となって、中国に残りました。何年前でしょうか、中国からの残留孤児の親探しが東京で行われ、その様子がテレビで放送されました。

テレビを見ていた母親が突然 「●●子ちゃんだ、間違いない。あれー、変わったなぁ。苦労したんだ」と大きな声を出したのです。

どうやら、テレビに出てきた女性が、幼なじみだったようです。

それから20年以上が経過しました。たまたま仕事で中国に駐在することになりました。父と母が行ったかもしれない満州、それは中国の東北部、吉林、黒竜江、遼寧省に当たります。

中国にいた3年間私はできるかぎり、東北地方に行って、日本の痕跡を探しました。

長春には、満州政府が建築した建物がたくさん残っています。お土産として、満州政府が作成した開発地図が売られていました。残念ながら紛失してしまいましたが、その地図には「新京」と書かれています。

長春はかつて満州の首都で新京と呼ばれていたんですね。長細いその地図は、道が碁盤の目のように整理されていました。

今も残る当時の建物は、洋風と中国風が混ざっています。建国のスローガンだった「5族共和」にふさわしい都市にしたいという意気込みだったそうです。「観光コースでない『満州』」(高文研)。方法は問題がありますが、理想に燃えた人々が日本から満州に渡ったのは間違いないでしょう。

長春の街角で古本を売っている人がいました。中を覗くと古い岩波文庫が何冊かありました。戦前に持ち込まれたものでしょうか。その中の1冊は、野上弥生子さんの小説でした。

最近、私の実家の近くに、満蒙開拓平和記念館ができました。日本が中国に進出した過去を美化するつもりはありません。この記念館もそういう趣旨でできたそうです。

ただ、あの「国」で何があったのか。日本と中国の関係がうまくいっていないいまだからこそ、自分なりに調べて見たいと思っています。

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