ゆえあって北朝鮮の貨客船万景峰号について調べていたら、読売新聞の記事に出会った。昭和47年7月2日付だ。
横浜読売という県版の記事なのが貴重だ。記者の目を通して、一般市民の反応が分かる。
当時、革新系である飛鳥田市長は万景峰号の横浜港入港を認めていた。
歓迎する人もいたが、反対運動も激しく、結局数回の入港だけで終わっている。
この日の県版には、桜木町というコラムがある。
字が小さすぎてよく読めないが、大意は以下の通り。
まるで朝日新聞を読んでいるかのような内容だが、当時はこれが一般的な受け止めだったのだろう。
飛鳥田市長をはじめ革新市政の北朝鮮に対する姿勢も興味深いものがある。こういう一般的な理解がある時代に、日朝国交正常化を進めていればよかったのにと思わざるをえない。
ちなみにこの日の新聞には、入港した万景峰号の中が報道陣に公開され、船内には子供向けのおもちゃがたくさんあったとも書かれている。
万景峰号は、いわゆる帰国事業で北朝鮮に渡った日本人妻の家族たちも乗っていた。再開を望む声もある。