東学党の乱(とうがくとうのらん)は、1894年に朝鮮半島南部で起きた農民反乱の名前だ。
ある場所で話していたら、この事件のことが話題になった。簡単にまとめて置きたい。
東学党が郡主の虐政に反発した全羅道古阜郡の農民を支持して挙兵し、朝鮮半島南部一帯を支配した。
東学は「人すなわち天」という教えで、人間の尊厳と平等を掲げる民衆宗教
だった。朝鮮政府は東学を禁じて教祖である崔済愚を処刑したが、民衆は教祖救済の運動を起こした。やがて「斥和洋倡義」を掲げて圧政打破と侵略阻止を唱え、東学は全国に広がった。
東学党の乱は、李朝が清国に出兵を要請し、日本も清国に対抗して出兵した結果、鎮圧された。この事件は日清戦争を誘発する結果となった。
現在は「甲午農民戦争」と呼ばれている。
東学は、儒教・仏教・道教を融合させ、民間信仰を取り入れた独自の宗教だ。
教義は単純で呪術的だったが、社会不安に動揺する人心に訴えて民衆の間に急速に広まった。
東学は、アジア以外の思想や宗教を嫌う排他的な性格を持っていた。東学の信者たちはこの「排他性」を強く持ち、次第に朝鮮から国外勢力を追い出そうと考えるようになった。
ただ、その教えにはキリスト教の影響が見られる。