核持ち込み密約の原点文書に「改ざん」? ノンフィクション作家、矢部宏治氏指摘 文書に2つの筆跡 来月出版の本で指摘へ



  日米安保をめぐる日米間の密約の中で、もっとも重要とされる文書の筆跡などが不自然に違っていることを、密約問題を追及しているノンフィクション作家の矢部宏治さんが発見した。密約の存在を否定するため、意図的に「改ざん」した可能性があると指摘。来月出版する新刊で詳細を伝える。(五味洋治)
 問題の文書は、1963年4月に行われた大平正芳外相とライシャワー駐米日本大使(いずれも当時)の会談に関する記録。極秘扱いとされたが、関係者の証言や公開資料から、その存在が明らかになった。
 60年の日米安保条約改定時に、核兵器の日本への持ち込みを認める密約が日米間で結ばれた。ただ、「密約」そのものが秘密とされ、後の政権に引き継がれていなかった。
さらに、米国側は「持ち込み」の意味を「日本への配備、貯蔵」に限られるとし、「核兵器を搭載した艦船・航空機が一時的に立ち寄ることは持ち込みに当たらない」と解釈していた。
 このため、63年1月に米側が原潜日本寄港を正式に申し入れたさい、池田勇人首相は、「核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわない」(1963年3月6日、国会答弁)と寄港を認めないという、密約に反する見解を示した。
 63年4月の大平・ライシャワー会談は、密約に対する解釈の違いを懸念した米側が、内容を再確認する目的で行った。
 会談後、日本政府は、原潜寄港は「事前協議の対象にならない」と表明、姿勢を一変させた。
 矢部氏は最近、外務省が2010年に公表し、同省のウェブサイトで公開している密約関連の331に及ぶ公文書を全て読み直した。
 その過程で大平・ライシャワー会談を手書きで記録した4枚中、1、2枚目とそれ以降で筆跡に違いがあることを発見。文書の文字詰めも一定していなかった。
 専門家に依頼して筆跡鑑定してもらった結果、「核兵器」「事前協議」などの字の違いから、この筆者は、文書の前半と後半で違うという結果が出た=写真。
 また、2枚目の文章には右上に「2」と番号が振ってあるのに、3、4枚目にはないなど、一貫性がないことも分かった。
 矢部氏は「筆者の名前が記された1つの会議録を、途中から別人が書くことは通常考えられず、意図的に『改ざん』されたとしか考えられない」と強調する。
 矢部氏は、68年1月27日付の東郷文彦北米局長による極秘メモとの関係を挙げる。
 密約に関する米側の解釈についての政府見解をまとめたものだ。密約はなかったが、米側解釈に異を唱えず、核兵器を搭載した艦船の寄港を黙認する方針が示されていた。
 このため矢部氏は「会談の内容を記録した文書から、その後に作成された東郷メモの内容と矛盾しない部分のみを選び出し、一部を別の筆者による文書に差し替えて公表したため、文章の整合性がとれなくなった可能性がある」と指摘。「これこそ、日本政府による公文書改ざんの原点だ」と話している。
 矢部氏は、密約問題を再検証した「知ってはいけない」(講談社新書)を出版し、10万部を越えるベストセラーとなったばかり。
 大平・ライシャワー会談記録の「改ざん」疑惑についても、11月に発売する続編「知ってはいけない2 日本の主権はこうしてなくなった」の中で、詳しく明らかにするとしている。

別項 必要なら使用 密約問題とは
 日本への核持ち込みや在日米軍の有事出撃などをめぐって日米間で密約が交わされていたとされる問題。民主党政権下の2009年2010年にかけて、外務省の内部調査チームと有識者委員会による調査・検証作業が行われた。有識者委は、在日米軍の有事出撃について密約と断定、安保条約改定時の核持ち込みと沖縄返還時の原状回復補償費肩代わりについては広義の密約が存在したと判断。沖縄返還時の核持ち込みについては、必ずしも密約とは言えないと結論づけた。同委員会は、事実の解明に必要な文書が見つからず、文書の重要部分に不自然な欠落があったことも指摘した。

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