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バルビローリのブルックナー:第3交響曲・ハレ管弦楽団(1964年12月18日・マンチェスター、自由貿易ホール)

ハレ管弦楽団の根拠であるマンチェスターのフリー・トレード・ホールにて収録された放送用 音源をBBCがCD化したものである。同年9月に3回この曲は演奏会で取り上げられており、 それを踏まえて放送用に収録したものとのことである。放送用音源の多くがそうであるように、 これもまたモノラルで、音質が気になる人は聴取に抵抗を覚えるかも知れない。

流石にバルビローリのブルックナーの3曲目になるとどういう演奏になるかは或る程度 想像がつくようになるので、第9交響曲や第8交響曲を聴いたときのような驚きは 感じることはないが、それにしても、例えばザンデルリンクの同一曲の演奏と何と異なることか。 この曲においては、明らかにまだブルックナー自身の音楽の流れのいまだ自覚されない無媒介的な 形態が露わで、それゆえ普通に演奏すれば、唐突で脈絡の無い音楽と受け取られがちであるのに 対し、ザンデルリンクは一旦知的に分析して再構成するというやり方ではなく、むしろその形態の 自己生成を見守り、促すように演奏することで、透明で自然な音楽を実現することに成功していた。 ここでのバルビローリの演奏は、本当は断片的な意識経過を後からあたかも一貫した 流れが存在していたかのように構成する意識の働きさながら、そこに主体をおいてそのフィルターを 通して眺めることにより物語を構成しているかのようだ。

第1楽章なら対主題の、あるいは第2楽章の歌いまわしは、例によってエルガーを聴くようだ。 ヨッフムであれば風景の向こう側から響いてくる世界の響きである音楽が、ここでは、主体が 目の前に広がる世界におりたつ経験の記述になっているのだ。その限りにおいて、音楽は 今そこで生じたばかりのような生気を孕んでいる。この眩いばかりの輝きに満ちた 音楽が、ここでは新しさの経験となるのを聴き取ることができる。それは聴き手にとっても 新鮮な経験だ。通常この曲の演奏に期待するものとかなり異なったものであることは確かだが、 40年前のモノラルの録音を改めて聴くだけの価値は十分にあると思う。

(2007 公開, 2024.7.10 noteにて公開)

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