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「第14回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成30年4月1日)

「第14回香川靖嗣の會」
能「桜川」

シテ・香川靖嗣
子方・内田利成
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・則久英志
ワキツレ・野口琢弘
ワキツレ・大日方寛
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・成田達志
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・内田成信・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久


今年の桜は早かった。既に彼岸過ぎには満開で、4月になると間もなくあっという間に散ってしまう。 毎年の春の恒例の「香川靖嗣の會」の今年の番組は「桜川」、恰も予めそれを見越したかのように4月1日の日曜日に 開催され、目黒駅から能楽堂までの道の途中にある満開の桜が早くも散りつつある中を往復しての観能となった。

私事になるが、実はこの回に先立つ第13回、昨年秋の「山姥」の演能は拝見できなかった。初回より欠かさず拝見して きたけれど、途切れる時には誠にあっけない。昨年は春にも、それまでしばらく欠かさず訪れていた さるオーケストラの定期演奏会、しかもプログラムに作品の紹介文を寄稿までした演奏会に行けなかった。 取るに足らないことと言ってしまえばそうなのかも知れないが、年に何度も能楽堂やコンサートホールに足を運ぶ 人にとってのそれと、私のように極限られた機会にしか訪れない人間にとっては重みが異なる。

そして今回「桜川」も、舞台を拝見できるかどうか前日まで予断を許さなかったのであるし、当日も拝見したのは 「桜川」一番のみ。番組では後に続いた狂言も、仕舞「熊坂」は拝見を断念して能楽堂を後にした。 「桜川」の前日の夜は件のオーケストラの今年の演奏会だったのだが、これもキャンセル。そうした中、 同行者の歩行を気遣いながらの往復となれば、桜の景色も同じものではありえない。そして当然、そうした心理は 観能にも翳を落さずにはいない。


この日の番組は、それまでの十数回と番組の構成が異なって、冒頭恒例の馬場先生のお話はなく、いきなり 能が始まった。その代わりということであろうか、会場で配られたブログラムには馬場先生が寄稿しておられる。 観能の回数が限られる私にとって、演能の時空は、それを囲繞する日常のそれとの間に或る種の不連続面を 持っていて、これまでは馬場先生のお話を拝聴しつつ、その断層を横断していたことを思い起こさずにはいられない。 これもまた演能の内容のみに専念する方にとっては瑣末ということになろうが、口開けにワキツレの人商人が現れて 事情を述べるのが、まるで舞台と現実とのあわいでのことのようで、幕が上り、シテが橋掛りに 現れると漸く風景が見えてくるように感じられる。

これは後から気付いたことなのだが、この曲にはいわゆる道行がない。 勿論、ワキの僧と子方の桜子の寺から桜川への道行がないわけではないのだが、 物狂のシテの方は桜川に既に先に到着しているのだ。桜川は実在の地名のようだが、近隣さえ訪れたことのない私には、 それは寧ろ演能により舞台上に浮かび上がる想像上の場所、再会のための特異点のようなものに感じられる。 もしかしたら、現実に過去に数多起きたであろう類似の出来事のどれとも同じではない、ありえたかも知れない 風景なのではないか。まるで夢の中で訪れた場所のように、時として現実以上に生々しいクオリアに満たされながら、 現実の中には場所を持たないユートピア(非-場所)での出来事のようだ。

勿論シテは自分で筑紫からの道行があったことを語るが、その道程をその場で再現するわけではない。 寧ろそれはこの場に木花開耶姫を呼び出すためであるかのようだ。 世阿弥の手になるらしい、シテや地謡が紡ぎ出す詞章の絢爛さが、或はまた、いわゆる「網之段」を核とする シテの所作の鮮やかさが、現実にはありえない程の舞う桜の散乱で舞台を埋め尽くし、 見所まで香りが届くかの如き心地である。 現実にはこれほどの桜が散れば、もはや枝には桜がなさそうなものだが、あろうことか、 枝は尚一面の桜花に埋め尽くされている、まるでそうした場でなくては再会は生じないのだと いうばかりに、、、


「桜川」を拝見するのは二度目、20年も前、能を見始めて間もなくの頃に、珍しく他流での上演で拝見したそれは、 駘蕩としつつどこか鄙びた、仄かに明るい風景を見せてくれたという印象のみが残っていたのだが、 今回のそれは寧ろ、「再会」の奇跡が起きるとしたら、その瞬間はどのようなものでありうるかというのを 舞台の上に示したものに感じられた。聊か突飛な連想であることを承知で言えば、「我が子の花は何故咲かないのか?」 という嘆きに接して、例えば曾我物語の或るバージョンにおいて、その結末で年老いた虎御前が自らも空しくなる直前、 咲き誇る夜桜の枝に十郎の姿を見るというくだりがあるのをふと思い浮かべたりもしたのである。 勿論「桜川」は現在能であって、再会は現実のことなのではあるけれど、単なる再会の物語であることを超えて、 それはどこか神話的な非現実感を思わせる点で、寧ろ夢幻能に近い感覚さえ覚えた。物狂というのもまた、 そうした「再会」に至るための心的変容のプロセスとして考えることができるのではなかろうか。

思い起こせば一年前には、同様の状況で、全く異なる残酷な現実を直視した元雅の能「隅田川」を拝見したのだった。 世阿弥作とされる「桜川」と元雅の「隅田川」との対比はあまりにも鮮烈で、更には「桜川」における些か作為の過ぎた状況設定もあって、 それを単なる人情話的な現在能として受容することはできない。自己を喪い、自己の背後から呼び掛ける声(それは 自己の下で常には抑圧されている深層意識と見做してもいいし、より単純に、ジュリアン・ジェインズの二分心の 仮説において、そのように考えられているように、意識の成立以前の心の構造の残滓たる「隠れたる神の声」と 見做すこともできよう。或はまた、膨大な歌の引用がもたらす他者達の声の交響を見るべきなのかも知れない) に応じる「物狂」の果にしか「救い」はないのだという認識こそが示されているようにさえ思われたのであった。世阿弥が巧妙に仕組んだ詞章の織り成す世界は、そのまま「物狂」を通して見る「現実」に外ならず、だが無色透明な現実というのはそもそもありえず、人は皆、自分が埋め込まれた脈絡の厚みを通して、自分の「現実」に向き合う外なく、「物狂」というのはベイトソンの言う「無意識のエクササイズ」に他ならない、といったことが心を去来する。

そう思えば「桜川」という能は実に演じるに厄介な作品であるに違いない。 心理的な掘り下げとか解釈のような賢しらさは却って作品の姿をわかりにくくする危険さえあるのではないか。 寧ろ端的な謡や所作への没入こそが相応しいようにさえ感じられる。 勿論、それを可能にするのは長年の渉る修練がもたらす芸の蓄積の力に違いなく、それゆえ今回の上演は、 まさに作品そのものを「あるべきように」開示する稀有な出来事であったに違いない。


上述のような繰言は、それ自体が賢しらな後知恵ではないかという反論があるかも知れない。 だがそれに対して私は、冒頭記したような状況での観能となった今回、このような優れた演能に接することが、 同行者にとってどんなにか大きな「慰め」となり、「癒し」となったかという事実を以て応えることができる。 比喩的に「慰め」「癒し」という言葉を使うのは容易いが、比喩としてではなく現実の出来事として それを体験するのは、それがささやかな日常の一部を構成するに過ぎないとしても、常ならば大げさな誇張としてしか受け取られない「救い」という言葉を使うに相応しい稀有な出来事ではないか。

10年以上、14回にも及ぶ蓄積の仮想的な断面を見ることができるとしたら、例えば、忘れもしない東日本大震災の直後の「朝長」のような「出来事」もあったけれど、今回は私的でささやかな、見所の座席のもう一つ隣には共有されえない、だけれども当人たちにとってはかけがえのない、しかも紛れもない「現実」の「出来事」であり、それゆえに外出が叶わず、常の年ならば決まって訪れた桜並木を訪れることが叶わなかった人間にとって、この上ない経験であったのだ。 そうした現実的な力を備えた経験を可能とした、香川さんを始めとする演者および企画に携わられた方々に 心から御礼を申上げて、結びの言葉としたい。

(2018.4.29暫定公開、5.3補筆修正, 2024.6.25 noteにて公開)

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