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オイゲン・ヨッフムのブルックナー(1) : 実演に接した感想

1986.9.16 東京文化会館 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ワグナー トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第7番

もう聴いて20年近く経つが、この演奏会は当時の私にとっても今の私にとっても群を抜く、圧倒的な経験だった。 当時の私にとっては、ヨッフムは特に熱心なファンではないけれど、1度目のブルックナー全集(その当時、第9、第5、第2を持っていた)や、コンセルトヘボウ管弦楽団との「大地の歌」のレコードで馴染みの指揮者で、「あの」コンセルトヘボウ管弦楽団を「あの」ヨッフムの指揮で生で聴くということで、期待して東京文化会館に出かけた。

最初は「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死だった。ヨッフムのワグナーといえば、ブルックナーの第5交響曲と一緒に入っていたパルジファルの前奏曲と聖金曜日の音楽が素晴らしくて、CDで見かけたら是非買いなおしたいと思っているのだが、トリスタンは初めて。決して馴染みのある曲とはいえなかったが、印象に残っているのは、ほの暗い、でも決して濁らないオーケストラの響きだ。その後のブルックナーが第7交響曲で、その響きのコントラストに目が眩むような思いをしたのは覚えている。当時も今も残念なことにこの曲の熱心な聴き手とは言えないので、それ以上の印象は率直にいって記憶に無いし、今付け加えることも無い。

さていよいよ第7交響曲である。弦のトレモロにのってホルンとチェロがブリッジのような長く弧を描いて上昇し下降する主題を弾き始めると、空気の感じ、光の調子が変わったように感じられ、上にも書いたが目が眩むような感覚にとらわれた。

まずは響きの圧倒的な美しさ、何とも陳腐で芸のない言い方だが、それまでに聴いた生演奏、放送録音、レコードを含めて、こんなに美しい響きに接したのは初めてだった。曲もまた、その響きを享受するのにお誂え向きだ。

ちなみにヨッフムは一度目の全集同様ここでも、2度目の主題提示の前で改訂版にあるホルン音の附加を行っているが、これは響きの実質に全くかなった処理だと思う。つまりそれは、ヨッフムがこの音楽に聴き取った響きの質に整合している。官能的といいたくなるほど豊かで手応えのある響き、イタリア風のカンタービレではない、けれども音響美には決して堕すことのない、無機的にも決してならない、自然な呼吸がそこにあった。それは「私が歌うための呼吸」ではなく、寧ろ何かを感受する心の動きに応じた呼吸、具体的な風景や空気の感触への通路、豊かな間を感じさせるものだ。フレーズが閉じて沈黙する瞬間の豊かさもまた、印象的である。測定可能な経過としては、大変に時間のかかるゆっくりした演奏になるのだが、息を凝らし、じっと耳を澄ます聴き手にとっては全く別の次元が開かれているという、稀有な経験であった。

第1楽章のコーダの音響のバランスは、ヨッフムのものが最も理想的だと私は思う。1回目の全集でも、テンポこそ速いがバランスは基本的に同じであり、ブラスの響きが有機的で角が取れていて、それを支えている弦の音型がはっきりと聴き取れる。この音響に身を浸すのは圧倒的な経験だ。

第2楽章の呼吸も深い。私はこの第2楽章を聴くとどうしても、ヘルダーリンの晩年の詩断片「天から」を連想してしまう。ごく日常的な風景が、この世の内ならぬものの息吹を受けたのか、突然別の価値を帯びて立ち現れるかのような、法悦感とはっきりとした実在感が共存する不思議な状態。もっと透明な、もっと清浄感のある、もっと涼しげな演奏もあるだろうが、この印象の生々しい濃密さ(でも決して人間的な匂いはない。ヴィスコンティの映画の背景には絶対になりえない。)の点でヨッフムの演奏に優るものはないと思う。実演に匹敵するのは、翌日の人見記念講堂での放送録音くらいのもので、日は異なるが解釈は基本的に同じで、その時の印象をはっきりと再現させることができる。

多くの方が語っているように、第2楽章の頂点では、座って指揮をしていたヨッフムが立ち上がった。視覚的な印象も圧倒的だが、まさに音楽そのものがそこで頂点を迎えるという実質が伴えばこそで、ヨッフムは身をもって「この音楽の頂点はここにあるのだ」と示したわけだが、あの頂点の手前の転調と同期して、信じがたいものを見てしまったような気持ちになった。(意地悪く冷静な人は、これを演出ととるかも知れない。しかし、それは例えば宗教的な儀式における身振りに近いものがあったように思える。否、理屈がなんであれ、要するに私は圧倒された、あんなに強烈なものを経験したのは先にも後にもないと言えるくらいのものだった、というほかない。こればかりは、幾ら貧弱な語彙を連ねてもはじまらない。)勿論、こういう演奏の場合、この曲についてしばしば指摘される音楽的な構想における座りの悪さ、構成のアンバランスは問題にならない。それは第2楽章の頂点を過ぎた後の音楽自体がはっきりと示している。(有名な練習番号Xの箇所を含めて。)この音楽は、頂点の後でなければ不可能だし、しかも頂点の後に語るべきものがここにはあるのだ。それが第7交響曲の構想なのだと思う。

第3楽章も表情付けがはっきりしていて、じっくりと味わえた。実は私はブルックナーのスケルツォで納得がいく、少なくとも多少なりとも退屈せずに聴きとおせることは滅多にないのだが、この演奏は勿論、その例外に属する。

しかし、私がこの演奏会で最も驚いたのは第4楽章が始まった瞬間だったと思う。椅子に座ってもう1時間も指揮を続けているヨッフムの棒から引き出された音楽の軽やかさに、あっけにとられたのだ。第3楽章も含めて、とてつもなく容量の大きい、豊饒で濃密な音に浸ってきたので、この第4楽章もまた、ゆったり目のテンポで、じっくりと演奏するのか、とそのときには予想したのではないかと思う。ところが実際にはさっと風が入ってくるような生気に満ちた始まりで、びっくりしてしまったのだ。椅子に座った老人の姿と音楽の生気のギャップに驚いた部分もあるかも知れない。実は、翌日の人見記念講堂の演奏の録音を今聴いてみると、決して「軽快な」演奏という感じはしないのだが、これは公演日の違いによるのか、それともその時の聴取の脈絡のなせる業なのか、判断がつきかねる。今録音を聴き比べればもっと「軽快な」演奏はいくらでもあるのだが、、、この第4楽章は、主題も含めて第1楽章の変奏のような感じのある音楽だが、当日聴いたと思ったものは、性格的にも全く異なった、後奏曲のような音楽で、自在に動くテンポや、幾つかの音響的な構造が自在に交代していきながら展開される音楽だったと記憶している。とはいっても、音楽の持つ豊かさやはっきりとした手応えが急になくなってしまったわけではない。第2楽章までは素晴らしい演奏が、急に手持ち無沙汰になってしまったかのようにこのフィナーレを持て余すというのはしばしばあるケースだが、そうしたことは微塵もない、確信に満ちた演奏で、そのコーダは晴朗な気に満ちたものだった。

終演後の拍手は凄まじいもので、オーケストラが去っても拍手が止む気配はない。最後に舞台の袖からヨッフムが現れ、立って拍手を続ける客席に応えることとなった。私は偶々ごく近くの席にいたこともあって、ヨッフムのごく間近まで移動して拍手を続けたように記憶している。間近で見たヨッフムは、とても背の高い白髪の老人で、終演後の熱気が冷めないせいか、顔は上気して赤く、あのトレードマークのような微笑を湛えていた。そのうち誰か一人、ヨッフムの前に移動して、握手を求めたのを覚えている。これだけ客席が熱狂する演奏会は、それまでに経験が無く、「こんなことが起きるのか」とびっくりしたものだ。(正確に言えば、客席の熱狂と自分の感動の釣り合いが取れた経験が少ないと言うべきなのだろうが。)

勿論、演奏会の熱狂というのが判断を狂わせる事だってあるかもしれないが、この演奏については、少なからぬ方がその聴取の経験を書かれているし、既述の通り、同じ演奏ではないものの翌日の人見記念講堂での演奏はCDになってしまったわけで、どうやら、私の受けた印象は自分の卑小さに合わせてそれなりのものになってしまってはいるものの、そんなに見当はずれというわけでもなかったようだ。

実は、開演前に指揮台の上に設えられた椅子、そして足元も覚束なげに出てくるヨッフムを見て、不謹慎にも「これが最初で最後になるのか」と思ったのを覚えている。あのヨッフムを初めて見た、でも、もうすっかり歳をとってしまったのだ、多分もう一度来日というのもないだろうな、と感じたのだ。

当時の私は、例えば前回のバンベルク交響楽団との来日公演も知らなかったし、一方で来日時のインタビューで再度の来日を希望するインタビュアーに「神様がお許しになれば」と答えていたのも知らなかったが、半年後の3月末にヨッフムが亡くなったと聞いて、「ああ、やっぱり、、、」と思ったのははっきりと思い出せる。

私は出不精なので、とりわけこの経験は貴重なもので、この公演はこれまでに聴いた実演でも最高のものの一つであるが、それだけでなくヨッフムの芸術の到達点に直接接することができたのは、本当に幸運だったと思う。

(2004.12.25初稿、2005.1.10改稿, 2024.5.15過去の記事を復元して再公開, 2024.7.25 noteにて公開)


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