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ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ

ペルゴレージの名は人口に膾炙しているとは言い難いのかも知れないが、仮にその名を知っている場合であっても、その名を知る人多くの人にとって、オペラ・ブッファの嚆矢となり、没後1750年代には「ブフォン論争」(Querelle des Bouffons)を惹き起こすきっかけとなった幕間劇(インテルメッツォ)「奥様女中(La serva padrona)」の作曲家であるか、あるいは「悲しみの聖母(スターバト・マーテル:Stabat Mater)」の作曲家であるかの何れかであるのが普通であろう。私の場合には後者であって、しかも音楽を熱心に聴くようになるほとんど最初の時期にその作品に接して、心の奥底にまで達する忘れ難い印象を受けたのであった。しかもそれ以外には(ペルゴレージ作と伝えられた大量の偽作の一つである)ヴァッセナール伯(Unico Wilhelm rijksgraaf van Wassenaer Obdam)のコンチェルト・グロッソ(コンチェルト・アルモニコ Concerti Armonici と題された6曲よるなる合奏協奏曲集)は耳にしたことはあっても ペルゴレージの真作とされる他の作品に接する機会はなく、私にとってはペルゴレージは即、「スターバト・マーテル」に他ならなかった。一方で音楽史上の知識として「奥様女中」という作品の存在は知っていても、聴いたことのないという点では、本体のオペラ・セリア「誇り高い囚人(Il prigionier superbo)」と変わるところはなかったのである。もっともペルゴレージの作品の真偽論争が一応の決着を見たのはようやく最近のことであるから、ペルゴレージという作曲家像が三世紀近い年月を経て甦る稀有な時期を生きる幸運な巡り合せにまずは感謝すべきなのかも知れない。

一般には19世紀中葉以前の音楽は、特にピリオド・アプローチが一般化するようになって以来、好むと好まざるとに関わらず、一旦は自分と地続きのものではない、断絶の向こう側のものとして意識せざるを得なくなったといって良い。勿論19世紀中葉以降の音楽だって、本当のところその音楽が産まれた時代の空気を自分が知っている訳ではないという点においては大した違いはない筈なのだが、それでもなお、直接には楽器の違い、調律の違い、演奏様式や奏法の違いといったものを媒介にして、しかし恐らくは、より本質的には、それが本来的な意味での「非電力芸術」であるという点に関わって、或る種の距離感を持って、つまり想起することさえもできず、原理的に自分が経験できない絶対的な過去に属し、スティグレールの言う第3次過去把持においてしか把持し得ない存在であるという事実がもたらす感覚から逃れることができない。繰り返しになるが、実際には錯覚は反対の側にあって、同時代の自分と地続きのところで産み出された音楽でもないものを自分の地続きのものと感じる方が間違っているというのが客観的なところなのだろうが、こと感覚の問題としては断絶が生じる分界点は別の場所にあるようなのだ。

そうした感覚の根拠を辿ってみると、実は幼少の折から意識せず自分と地続きのものと受け止めた経験のある音楽について、その後の演奏様式や奏法の変化によって自分がかつて聴いたものとの対比が生じる場合に、そうした距離感が生じるのかも知れないということに思い当たる。例えばチェンバロはあり、歴史的オルガンはあっても調律法はいわゆるモダンピッチで、最早いわゆるロマン派的な演奏様式そのものではなく、20世紀前半の即物的な様式の影響を受けつつもなお、歴史的な考証を経ていない様式の演奏を聴くことでその作品に出逢ったかどうかというのが分かれ目になっているように思われるのだ。その典型例がJ.S.バッハやハイドン、モーツァルトの音楽だし、逆に最初からピリオド・アプローチで接したより古い音楽、例えば黄金世紀以降のスペインの音楽やモンテヴェルディの音楽は、いわば初めから「あちら側」の音楽であるがゆえに、断絶を断絶として意識するよりは端的に別の音楽として受け止められるのに対し、ペルゴレージの音楽は最初に無媒介な摂取があったが故に、それが実は遥かに過去のものであることに事後的に気付かされるという仕方での相対化が生じているようなのだ。

かくしてペルゴレージの音楽については上述の事情により、「スターバト・マーテル」のみはかつての非ピリオド・スタイルでの演奏により自分の心の中に消し難く刻み込まれたものの、他の作品は幾つかの宗教曲を除けばピリオド・スタイルでの聴取が先行することになる。生誕300年を記念して上演され、ようやく記録媒体を介してであれ接することができるようになったオペラはまずもって、その後のオペラとは異質のジャンル、別種の伝統芸能であるバロック・オペラに属している、というのが感覚に忠実な言い方になるだろう。

けれども「スターバト・マーテル」に関しては、いわゆるスタイルの変化の洗礼を受けて尚、自分と地続きのものではない断絶の向こう側のものとして接することができない数少ない例外の一つになっている。例えばつい先頃物故したクラウディオ・アバドはモダン・オーケストラでキャリアを積んだ指揮者であり、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」についても1980年にロンドン交響楽団を指揮して、マーガレット・マーシャルとルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニを伴奏した録音がある一方で、生誕300年には「ペルゴレージ・プロジェクト」の一環として、ピリオド・スタイルによる再録音をしている。だが、私が聴くのは専ら1980年の演奏の方だし、それ以外に手元において繰り返し聴くのは、デュトワ指揮モントリオール・シンフォニエッタ、ジューン・アンダーソンとチェチーリア・バルトリの1991年の録音、ムーティ指揮スカラ・フィル合奏団、バルバラ・フリットリとアンナ・カテリーナ・アントナッチの1996年の録音、アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン、エヴァ・メイとマルヤーナ・リポシェクの1993年の録音であり、前二者はモダン・スタイルによる演奏だし、アーノンクールはピリオド奏法の嚆矢ではあるが、その演奏はオーセンティシティに対する独特の立場と相俟って極めて個性的で、寧ろ私には自分と同時代の、「今日の解釈」という印象が強い。その一方で、ピリオド・スタイルが一般的なものとなった今日の時点においてはカウンター・テナーやボーイ・ソプラノといった選択肢が存在するのを知らないではないが、敢えて聴いてみようとは思わない。

ピリオド・スタイルの歴史的再現の忠実性を優先する立場からすれば、私の受容のあり方は確信犯的な誤解ということになるのかも知れない。博物館的・骨董品的な文化財としての価値の尺度ではなく、より美学的な立場から、ペルゴレージの「様式」はモダン・スタイルの演奏と相容れないという見解がなされることもあるだろう。それはちょうどメンデルスゾーンによるJ.S.バッハのマタイ受難曲の蘇演が今日の知識からすれば全く見当違いの形で為されたのと類似の関係にあるのかも知れない。だがにも関わらず、それでも尚、私にとってペルゴレージの「スターバト・マーテル」はそうした点を含めた上での全くの例外なのである。

その例外性については幾つかの側面を述べることができるだろうが、一例としてあげるならば、私は或る種の色と音程の共感覚を持っていて、ただその対応はモダン・ピッチに限られるということがある。ピリオド・スタイルの調律法も近年は研究が進展して、ピッチ一つとっても画一的なものとは程遠いことが判明しているようだが、ともあれおおよそ半音も低い異なったピッチでの演奏では、私の脳の中に形成されたネットワークが適合することができず、モダン・ピッチでなら不随意的に生じる色との対応はいわゆるバロック・ピッチでは生じないようだ。一方でペルゴレージの作品は丁度バロックと古典期の端境にあり、先駆的な古典派の作曲家に分類されてもおかしくない様式を備えているが、バロック期の調性格論は健在である。「スターバト・マーテル」もその作品の内容に相応しく、ヘ短調が主調であり、ハ短調、ト短調、変ホ長調、ハ短調、ヘ短調、ハ短調、ト短調、変ホ長調、ト短調、変ロ長調、ヘ短調という遍歴を経ていくが、その過程は光の寒暖(といっても実際には一貫して、どちらかといえば暖色系の色彩の中でのコントラストなのだが)や明暗の変化となって「見えて」くるように作曲されている。だが、それを私が享受しようと思ったら、モダン・ピッチの演奏である必要があるのだ。(従って、アーノンクールの演奏の印象は他の演奏とは全く異なる。)そして、この曲の冒頭の二重唱(Stabat Mater dolorosa)こそ、私にとってはヘ短調のプロトタイプなのであり、その感覚はモダン・ピッチに関連付けられた回路によってのみ生じるのである。

この作品の持つ宗教音楽としてのマージナリティにしても同じことが言えるだろう。その後の西欧音楽は大規模な演奏会用音楽であるレクイエムやミサ曲の傑作を幾つも手にすることになるが、この作品が恐らくそうした典礼目的の作品から逸脱していく傾向の潜在的な嚆矢となるような側面を内在させているのは間違いない。他の先行する音楽が劇場での演奏を想定したものであったとしても、あるいはこの作品が修道会から委嘱されたものであったという事実を考慮しても、そうした事実関係のみでは作品が己の裡に内在させている傾向性を測ることはできない。この作品が宗教曲としてあまりに甘美過ぎるという批判を長く受けてきた歴史を知らないではない(その中で嚆矢となり、かつ最も有名なものは、マルティーニ師(Giovanni Battista Martini)による1774年の「スターバト・マーテルは敬虔で信心深い、深い悔い改めの感情を伝えるには軽すぎ、ペルゴレージ自身の「奥様女中」に様式的に近すぎる」という評言であろう)が、音楽が人間のものであるとしたならば、この作品こそ、他の後続するあらゆる作品に優ってそうであるという印象を受ける。例えばもう少し先のベートーヴェンの晩年のミサ・ソレムニスが或る種の回顧であり、ややもすれば時代遅れのマンモスのような、廃墟のような印象を与えるのに対して、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」はそうした身振りからは自由である。丁度「奥様女中」の音楽がそうであるように、それは確かにバロックと前古典期との橋渡しという絶妙な時代の産物という側面を強く持っている(あのJ.S.バッハがこの作品に目を留め、詩篇第51番「わが罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ」BWV1083という編曲を残していることは良く知られているし、ストラヴィンスキーが新古典主義に向かうにあたり、偽作も含めた「ペルゴレージ」の様式に範を求めたことも良く知られている)が、それ以上にその作品は、そうした時代に還元しようとする議論を遥かに凌駕する独自の個性と普遍性とを兼ね備えていて、300年の歳月を経ても滅びることがないどころか、ますます輝きを増すかにさえ見える。


またこれは一見些細なことと受け止められるかも知れないが、上述のアバドの1980年の録音の第12曲(Quando corpus morietur)の引き摺るような、如何にも音象徴的な音型に支えられた序奏部分の旋律において、弦楽器のハーモニーが明確に人の声に聞こえる部分が(少なくとも私にとって)あるのだが、これはいわゆる器楽による擬似的なフォルマント合成の効果に私が気付いた最も早い時期の経験である。それがいわゆる録音された媒体の聴取において生じている点にも注目すべきだろう。つまり私固有のこの作品の聴体験の基層には、好むと好まざるとに関わらず、テクノロジーが既に深く進入しており、そのことはこの作品を3世紀の時間と全く異なる地理的・社会的環境において受容することと並んで、いわゆるオーセンティックな聴取というものを端的に不可能なものにする一方で、他方においては突然変異的であり、畸形的でもありうる新たな聴取の可能性を開いてもいるのだ。

だがそれ以上に、思い込みの類であることを認めた上で述べるならば、私にとってペルゴレージの「スターバト・マーテル」は、端的に言って時代や社会的・文化的文脈を超越した存在なのである。良く知られているように、ペルゴレージは26歳で早逝したが、その早すぎる晩年に身を寄せた修道院で最後に書いた作品が「スターバト・マーテル」に他ならない。聴き始めて直に、特に終曲である第12曲の持つ雰囲気の異様さに打たれた私は、18世紀以降、カトリックの聖母マリアの七つの御苦しみの祝日における典礼のセクエンツィアとして用いられるようになったラテン語の詩の意味を知って二度驚くことになり、この作品をペルゴレージの「遺言」として受け止めるようになった。

300年近くも昔の異郷の地で26歳で己の生涯の終焉に立ち向かわざるをえなかった1人の人間、ただし稀有な才能を授かった天才である1人の人間が遺した作品がずっと継承され、演奏され、聴かれ続けるということに私は大きな慰めを感じずにはいられない。苛酷な運命に曝されつつ、だがその才能によってその運命の過酷さを未来の人々の記憶に刻印し、まさにそうすることのできる能力の持つ無限への飛翔を、作品として遺すことができたことに対して。第12曲はまさに、肉体は死んでしまっても、魂は天国の栄光を蒙ることができることを祈っているのだ。(Quando corpus morietur, / Fac, ut animae denetur / Paradisi gloria. / Amen.)それは遺された作品がミームとなって300年の隔たりの中を通り抜けて存続し、それがもともと帰属していた文化的・地理的環境を超えて地球の反対側にまで到達し、今なお演奏され、聴かれ続けることによって成就したのではないのか?そう言ってはいけないのか?

その音楽は不思議な柔らかい光に充たされ、時間を引き延ばしていくかのようだ。そこには過去の時間が結晶し、自分の想起できない過去さえも照らし出し、そして自分に到達できない限りにおいて非-場所でしかないユートピアを予感し、なおかつその予感が祈りの音楽となることによって成就してしまう己の知ることのない未来を見はるかすかのように、ひととき停止する。歩みが再開されたとき、繰り返される詞は、その繰り返しによって、気付かないほどにかすかに、現実に何かを変えてしまっている。投壜通信は、発信者を救わなかったとしたら、失敗したといわなくてはならないのだろうか?否、自分の住まう浜辺に漂着した壜を拾い、開けて読むことによって事後的に名宛人になる人間に届くのは、少なくとも全くの無ではないだろう。

確かに音楽の力はヴァーチャルなものであり、その音楽が鳴り響くちっぽけな脳の中にその座があり、通常魂と呼ばれているもの以外の何かを変えるわけではない。だが無限に向けて歩む人間が遺した音楽は、そうやって転移し、伝播を繰り返すことによって作品にとっては絶対的な過去であり、作品自体がそれの痕跡であるところの或る出来事が生起した場としての魂を指し示すとともに、そうした出来事の生起へのいざないとなる。その時、魂は生きているのでもない、死んでいるのでもない、幽霊的な在り方で私に向かって呼び掛けてくるのだ。それは例え私にその能力がなくても、他の誰かが為し能うであろう無限への飛翔がかつて生起したという事実の証拠であり、かつ今後生じるであろうことの預言でもある。300年の年月を経て、その音楽は録音されることによって幽霊性を得るようになったが、更にその先には、例えばフォルマント兄弟が試みているように、機械に歌唱させることによって本質的に幽霊的な声を獲得することさえ考えられるのだ。テクノロジーの進入により、人間の、現実の布置が変わるに応じて、観念の、ヴァーチャリティの布置もまた変化する。その時、Quando corpus morietur, /Fac, ut animae denetur / Paradisi gloria. / Amen. という詞がどのように解釈されるのかはこれから問われるべき事柄であり、しかもそれは音楽の次元のみに留まるものではないだろう。

「スターバト・マーテル」を聴くとき、私は出逢ったことのない、全てが手遅れで、最早出会うことの叶わない「彼」、最早幽霊でしかない「彼」と出会っているのではないか?「彼」が見た風景を、「彼」が感じた印象を自分の中に取り込んでいるのではないか?そして今度は自分の見た風景を、自分の感じた印象を壜に詰め、未知の名宛人に向けて投壜しようとしているのではないのか?

人は風景を見ると言い、印象を感じ取ると云うとき、まるで写真機のように外部を写し取るというように考え勝ちだが、実際にはその風景は寧ろ彼が生きる仮想世界からの展望であり、リアルなものの強度の由来は、それがヴァーチャルなものの中に位置づけられることによるのだ。そしてヴァーチャルな時空の構造は、リアルな歴史的・地理的な隔たりと等しいわけではなく、全く独自の構造を持っている。同時代のものが疎遠であるどころか、事実上ほぼ無縁である一方で、リアルな時空の隔たりを超えることも可能なのだ。音楽こそがまさにそれを可能にすることを、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」は証しているのだと私には思われる。否、そうした印象を超えて、実は存続し、永続するものは寧ろ作品の方であって、私は単なる作品が存続していくための媒体に過ぎないという感じを逃れることができない。

(2014.3.2, 2024.6.25 noteにて公開)

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