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魔法の鏡・共感覚・盲者の記憶:モリヌークス問題からジッド『田園交響楽』を読む(2)

2.

当初の題名はL'Aveugleであった。それが何故、La Symphonie pastoraleになったのか。 その構想はずっと以前(1893年)からあったが、執筆の開始は1918年2月16日とのこと。第一部が書かれている 段階では、依然としてL'Aveugleとジッドは呼んでおり(1918年5月17日の第一部完成を告げる日記の記述からそのことは 窺い知ることができる)、La Symphonie pastoraleという表題は、その後1918年6月8日に与えられたもののようだ。 それは完成した第一部のみを指していたのか、あるいは既に構想としては存在していたであろう第二の手帖とその結末も合わせてのことなのか。 第二部執筆は難渋する。その挙句に結論を急ぎすぎる結果になる。10月19日には終結部に到達したようだが、脱稿は11月18日。 11月21日に、妻マドレーヌによる<手紙焼却>が明らかになる。(これをもって<自然>が<芸術>を模倣するなどと若林は 評しているが、まず<自然>を実生活と読みかえることを許容したとして、時系列的にも<自然>が<芸術>を模倣するというのは ナンセンスであろう。11月21日に起きたことは、それまでの<自然>の過程の一つの結果に過ぎないこと、それに対するジッドの反応が 「田園交響楽」の牧師のそれと同じであり、ジッドが同じ時期に同じようなことを実生活に関して述べたとしても、それは一方が他方を 模倣したのでは全くない。逆にそうした認識が既にジッドの裡にあったからこそ、「田園交響楽」の第二部があのようになったのであり、 実生活に関して、自分が他人の不幸の上に自分の幸福を築いていることに盲目であったと後で述べたとして、それは同じ認識を 時期をずらして述べただけではないか。)
後日のジッド自身のコメントで唯一留意すべきは、La Symphonie pastorale, d'une forme de mensonge à soi-mêmeという断章であろう。 それ以外の思想的な説明には、後づけの自己弁護、それこそ mensonge à soi-même の上塗りの感さえある。ジッドはそれを繰り返し 続けた人であり、人によってはそれが何と「誠実」と映ったらしく、しかもそうした姿勢に対して積極的な評価を与える人間さえいるのは 驚かされる。もっとも、「法王庁の抜け穴」のラフカディオに共感をする人間がいるくらいだから、驚いていても仕方ないのだろうが。
田園交響楽は、それ自体はあまりに簡潔で言い落としが勝ちすぎている。それがジッドが篭めた実生活への暗示によるものであるか どうかはどうでもいい。 田園交響楽での変わり果てたアメリーに現実のマドレーヌを見てとろうとすることは無意味だ。ジッド自身の心情や意図がいずこにあるにせよ、 それに付き合う必要は恐らくはない。否、勿論ジッドは、現実には不可能な実験をここで試みたのであろうが、それもまた、中途半端な ものになっているようだ。若林の「アンドレ・ジッド『田園交響楽』の形成:<自然>と<芸術>の葛藤」における所説は自己韜晦を 伴う奇妙なものだが(それ自体、ジッドの姿勢のミメーシスなのだという見方が可能だろう)、 結局のところ現実との関係の指摘以上のものになっていない故、情報としては興味深いものを含んでいたとしても不毛なものだ。 寧ろ、結果的に「田園交響楽」という作品が神話的とでも言うべき単純さを備えていて、色々な参照への可能性を秘めていることの方がより重要であり、 必要なのは(ジッドにおける研究の常套手段の感さえある)伝記的な詮索などではなく、せめてテキストの成立の力学を解析するような生成論的分析であり、 それ以上に内在的な構造分析、あるいはテキスト間の構造の変換の分析だろう。
田園交響楽はレシであって、ポリフォニー的ではない。ジッドがドストエフスキーの影響もあって探求したジッドなりのポリフォニーの追及の行き着く果ては、 ジッドの唯一のロマン「贋金作り」であるが、ジッドが唯一ポリフォニックたらんと企図したにも関わらず、ドストエフスキーが「白痴」から「カラマーゾフの兄弟」へと そのポリフォニーを深化したのとは逆に、これはまさに「カラマーゾフの兄弟」においてイヴァンが導出した、だが自分では本当には受容できなかった、 そしてゾシマが「地獄」と読んだ状況、「全てが許される」人間たちの混沌に過ぎない。つまりこれはポリフォニーなどではなく、似て非なるものなのだ。 確かにこれはある種の極限だろうが、そこは不毛の地に過ぎない。あるいはドゥルーズ=ガタリのように砂漠を称揚するものも居るかも知れないが、 それは観念の上で、書斎の中で論じているからに過ぎないからだ。人間は全き砂漠には住めない。ジッドの実験は確かに未踏の探求であったのかも知れないが、 結果は明らかに失敗であった。ジッドの限界はユマニスムの限界なのだ。彼の終生の不安と動揺、身近な人間に対する裏切り、 彼の主張する「誠実さ」故の不実。それはまるでムイシュキンの陰画のようだ。しかもそれはロゴージンではなく、寧ろトーツキーに近づきさえする。 実生活におけるジッドの、「田園交響楽」のジェルトリュードへの牧師の対応に反映しているとされる姿勢だけではない。 完全に無償の動機なき殺人が行われる「法王庁の抜け穴」から「贋金作り」への流れは、まさにトーツキーがプチ・ジューで 語った椿を巡っての彼の行動と重なる。結局、ジッドが目指したのは、トーツキーを正当化することでしかなかったのではないか。 せいぜいがジッドは、イワンのアモラルな世界の選択の後を追ったに過ぎないように思える。「贋金作り」の、掟なしに生きることを認めないが、 その掟を他人からあてがわれることも認めないベルナールは、まさに聖書の自由解釈によって自分の行為を正当化してみせる牧師の同類ではないか。 「田園交響楽」の世界は、「カラマーゾフの兄弟」において「蛇が蛇を食い殺す」争い、父子が同じ女性を争奪するニヒリズムの支配する 世界そのものなのだ。
要するに問題は聖書の自由解釈という形式にあるのではなく、その自由解釈の内実が問題なのだ。百歩譲ってイエスの言葉とパウロの言葉を 分離して対立させることが可能であるとして、その一方のみを抜き出す解釈は精神的な荒廃を帰結するほかないという点にある。 ジッドはこの作品を過去の負債を返すべく、一度は書いておかねばならなかったから、罰課を課された思いで書いたといい、 また聖書の自由解釈への戒めであるとも述べているらしい(岩波文庫改訳版の川口篤の解説に拠る)。だが、まず後者から行けば、 戒めの対象となる自由解釈は、実質的には「彼」のそれであって、だからこそ過去の負債の返却たりうる筈である。 そして過去の負債を返すことは出来たのであろうか。私見では、 この急いで書かれた、そしてもしかしたら半ば意図的に急いで書かれたことを作品の内部に記銘した作品の結末は、何ら過去の負債の 返却たりえていない。それは若林真が言う、カトリックへの帰依にも関わらず禁じられている自殺により閉じられることによるのではないし、 また、しばしば言われる、問いは立てても結論は出さない実験を繰り返すジッドの姿勢が意図的に結論を避けたというわけでもない。 ただ単に、ジッドは結論を見つけることができず、本当に砂漠にいたのだろうと思う。勿論、過去の負債の返却など行えるはずもない。 若林はジッド自身のアイロニーのミメーシスを自己演出するかのように言い訳しつつも、結局のところ、ジッドの研究においてはありふれてもいるし、 安直でもある或る種の伝記主義的な解釈をしているに過ぎず、実生活の反映と、作中のアメリー、生き残ったアリサであるところの 妻マドレーヌに対する贖罪を読み取ろうとする。そして、マドレーヌがその意図を正確に読み取れていないと言い、マドレーヌの コメントに対して訳のわからないコメントをつけているが、わかっていないのは若林であって、マドレーヌは「田園交響楽」が過去の負債の返却に なっていないことを見抜いていたのではないか。若林はこの自殺を作品の芸術的・思想的次元の要請と言っているが、若林の説明は芸術的・思想的 次元とは別の次元を動いているようにしか見えず、その言明の裏づけに全くなっていないのは奇妙という他ない。

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