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「第25回香川靖嗣の會」(矢来能楽堂・令和6年9月22日)

能「卒都婆小町」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉ワキツレ・宝生尚哉
笛・松田弘之
大鼓・国川純
小鼓・成田達志
後見・塩津哲生、中村邦生、友枝雄人
地謡・友枝昭世、長島茂、狩野了一、金子敬一郎、内田成信、佐々木多門、大島輝久、友枝真也


  「第25回香川靖嗣の会」を拝見しに、矢来能楽堂を訪れる。と書き付けてみたものの、5年前に目黒の喜多能楽堂で「檜垣」を拝見した感想を記した折に同じように記した時との目も眩むような隔たりに茫然となるばかりで、筆を先に進めることができない。きっかけは2020年の新型コロナウィルス感染症の流行だが、それに加えて身辺の状況の変化により、既に昨年(2023年)のゴールデンウィークを境に新型コロナウィルス感染症の感染症法上の分類は5類に変更され、舞台公演についても既に開催の制限がなくなったにも関わらず、諸般の事情からスケジュールの調整がつかず、年に2回、土曜日に開催される舞台を拝見することが叶わなかった。今回事前に伺ったお話では、個人の会はこれが最後になるかも知れず、その謂わば「舞い納め」として「卒都婆小町」を舞われるとのこと、偶然にも日曜日の午後の開催ということで訪問の予定が立って向かった先は、だが、あの慣れ親しんだ目黒の舞台ではなく矢来能楽堂。実はこちらは既に40年も前の昔のこと、大学に通っていた頃、日仏学院の夜のクラスに通うべくキャンパスから歩いて市谷船河原町まで通う折、矢来町は通り道にあたっていて、夜の帳の降りた中、囃子や謡が漏れ聞こえる能楽堂の脇を通るのが日常であったのだが、その後能を拝見するようになってからも、矢来能楽堂を訪れることは遂になく、今回初めて赴くことになったのであった。

 最初に川崎能楽堂で「阿漕」を拝見したのが2000年だから、それからでも四半世紀が経過したことになるが、25年の中での5年の空白は決して小さくはない。更に「香川靖嗣の会」も今回が25回目だが、前回拝見した「檜垣」が第19回だったから、こちらも同様に、25回の中で5回の空白を隔ててということになる。その空白の間、いわばその中に逼塞することになり、今なお基本的には続いている「別の日常」に馴化してしまった自分が、突然舞台を再訪したとて、そこで繰り広げられる演能を、その価値に相応しい仕方で受け止められるものか、初めて訪れる能楽堂の寄る辺なさと相俟って、心許なさばかりが先に立つような状態だった。客観的に見れば、見所の一人が偶々抱えているこうした個人的な脈絡など取るに足らない、どうでもいいことであって、これは「香川靖嗣の会」の節目となる重要な公演、しかも曲目は平成19年(2007)以来の再演である老女物の「卒都婆小町」ということで、端的に舞台そのものについて、その重要さに相応しい形での記録こそが求められているに違いないが、まず私がその任に堪えないことをこうして記しておく他ない。


 以前拝見した折と変わらず、開演するとまず最初に金子直樹先生のお話。「卒都婆小町」に関する様々な情報を淀みなく披露され、公演プログラムにお話のタイトルとして記された「果てを覗く」ことについてのお話の後、香川師が80歳になられて、当初は今回が区切りの舞台であったこと、だが来年もまた、現在改修中で来年に再開される喜多能楽堂で「八島」を舞われることを披露され、能楽の世界には定年がなく、可能な限り香川師の舞台を拝見し続けたい旨を述べられて結びとなった。まさに今回の公演の意義を語り尽くされた感があり、当然その後舞台を拝見するにあたり、その内容に色々な形で影響されずはいられない。例えば、覗き見られる「果て」は、まずもって舞台上の老女となった小野小町のそれだろうが、見所で拝見する自分にとっては、演ずる香川師のそれとも重なってくることは避け難い。後でもう一度触れたいが、逆に「定年がない」というのは小野小町たる老女の生き方についても言いうるのではないかといった感慨を抱いたのは、金子先生のお話あってのことに違いない。こんなことを言えば、小町はとっくの昔に「定年退職」し、引退した果てに、今の「定年後」の姿があるのだから、「定年がない」などと言う言い方は筋違いのナンセンスではないか、という反論が直ちに返ってくることであろうが、私が言いたいのはそういうことではなく、「仕事」については「区切り」というものがあるだろうが、「老い」を生きるという過程には到達点がなく、終わりがない――外からやってくる「死」によって永遠の中断されるほかない――のではということなのだ。ともあれ、金子先生のお話の後、続けて狂言があり、20分の休憩の後、これもいつもの如く、楽屋からお調べが聞こえてくると、いよいよ「卒都婆小町」の開演である。
 実は「卒都婆小町」という曲目を拝見するのは今回が初めてではない。これも以前からのことだと記憶するが、今回もまた金子先生はお話の中で、見所に対し「卒都婆小町」を拝見するのが初めてかどうかを問うて挙手を求めていたが、私は2002年に一度拝見したことがあるという事実に即して手を挙げなかった。とはいうものの、まだ能を拝見するようになってから日の浅い時期であったこともあり、予習不足もあり、恥かしながら特に前半の詞章がその場で聞き取れなかったこと以外はほとんど印象が残っていないというのが正直なところだから拝見したうちに数えるのは適当ではないだろう。また2007年の香川師の演能も拝見できていない。従って実質に即するならば初めて拝見するのと余り変わるところがなく、かつてと異なるのは、能楽の形式に馴染み、詞章もある程度は頭に入っているというくらいのことでしかない。


 だが舞台に入り込めないのではないかという懸念は、松田さんの笛の一閃で杞憂となって消し飛んでしまった。次第の囃子が時間の流れを形作り、僧たちが歩む山間の風景を定着させるとワキ・ワキツレが登場し、都へと歩みを進める頃には、すっかり、あの、馴染み深い能の「風景」が広がっているのが感じられ、物語の中に自然と引き込まれていく。ありきたりの感想だし、これは能楽に限らず、他の優れた音楽作品にも言えることだと思うが、能楽の持つ様式というのは誠に有難く、一度浸かったきり、二度と浸かることのできないエフェメールで頼りない個人の経験の偶然の脈絡よりも、音曲の持つ形式の力の方が永続的で、頼りがいのある確実なものなのだということを感じずにはいられない。勿論、演者がいて、見所がいて、繰り返し上演されることによって継承されるものであるとは言え、ちっぽけで有限の寿命をしか持たない私よりも遥かに長い年月を既に通り抜けて、「卒都婆小町」は今、私の眼前に再び姿を現しているのだということを思わずにはいられない。こと能に関しては、とりわけでも今回拝見したそれについて言えば、見所が上演を「消費」しているという言い方は全く不適切で、逆に仮初めの媒体に過ぎない己を含めて、上演に立ち会ったすべての人を介して、一人一人の人間のスケールを超えて永続する作品が固有のリズムを刻むことに寄与しているに過ぎないのだという感じを否み難く持ったのである。

 僧たちが阿倍野の松原に着くと、小野小町である老女の登場となる。乞丐人とは所謂、物貰い、乞食のことだが、老女の歩みは遅く、たどたどしくはあっても、しっかりとしており、橋掛りの途中で休む様も、疲労困憊の果てというより、予めそのように休みながら足を運ぶという意思に基づく、己の現在の身体的な状況と折り合っての挙措に見え、その姿には気品すら窺える。橋掛から舞台に出て、予め後見によって中央に置かれた蔓桶=卒塔婆に腰を下ろすのも、ゆっくりとしてはいるけれど危なげなく、寧ろ自分の身体の状態を良く把握して、どうすれば安全に確実に座れるかをわかった上での所作にさえ見える。(勿論それは一方では演ずるシテの高度な技量によってのみ可能となる確からしさに裏打ちされたものであるのだが、それを言うならば、そのシテもまた80歳、世間的には「後期高齢者」に属することになる年齢であることに思い起こせば、瞠目せずにはいられない。否、このような技術的細部一つに限らず、そもそも「老い」を演ずることそのものが、技術と体力とのどんなに微妙なバランスの上に成り立ったものであるかは、頭ではわかっているつもりの私のような素人の想像を遥かに超えるものであるに違いなく、只々驚嘆しつつ拝見する他ないのである。)

 橋掛りで一時佇む老女の姿は、確かに避け難い「老い」を背負ってはいるけれど、「老い」を正面から引き受けて生きている人の姿と私には映ったのである。それゆえ、その後、僧たちとの間に繰り広げられる卒塔婆の功徳を巡っての問答で、僧たちが仏教の教義に従って教化しようとするのをあしらって、却ってやりこめてしまい、僧たちの敬意を勝ち取ることになるのも、ごく自然なことに感じられる。過去が余りに輝かしいものであったが故に、殊更にそれとの対比を連ねていく詞章にも関わらず、今のありのままの姿を見れば、ここでも老残というには程遠く、「老い」が備えるとされる、経験の重みに裏打ちされた智慧のようなものを感じさせ、寧ろトルンスタムの言う「老年的超越」こそ相応しいのではないかとさえ感じられた。問答の合い間の僧に対するちょっとした所作もまた凛として、自信と知性に満ちたものに感じられ、さながら老賢女といった風情であって、寧ろ「老い」の在り方の或る種の理想――勿論、だからといって乞丐人の境遇がなくなるわけではなく、況してや「老い」自体が超克されるはずもないことは、後半の舞台が告げる通りなのではあるが、――を示したものなのでは、とさえ感じられたくらいである。


 ということで、僧の礼拝を受けて後、戯れ歌を歌って結ばれる前半があまりに生き生きとしているがために、自ら名を名乗った後、厳然とした現実である「老い」に立ち返って、老残を嘆く姿も、寧ろ生きている限りは避け難い「老い」から目を逸らさず、それを正面から受け止めようとしているかに見えるのが却って痛々しく感じられる。詞章に沿って為される所作は、詞章の内容に応じて、或る時には昔日の面影を思い起させるようでもあり、或る時には現実に対する率直な嘆きを伝えるものでもあり、だけれどもそれは「老い」そのものの「表現」なのではなく、「老い」に直面した人間の心の反応を映し出すものと私は受け止めた。ここで「老い」は即自的なもの、生物学的・生理学的な老化そのものではなく、それを我が身の現実として認識する主体にとっての対自的なものであり、自己意識を持ち、自伝的自己を備えた人間であれば誰しもが――勿論、私自身も含めて――直面しなくてはならない状況に他ならず、或る意味では自分のものでもある筈の「果て」を、舞台芸術という仮想現実において「覗き」込んでいるのだ、という思いに囚われずはいられなかった。

(勿論これは、介護を通じて「老い」を目の当たりにし、なおかつ自分もまた遠からず還暦を迎えるという、私個人の個別的な状況がもたらした感慨であることを否定するつもりはなく、5年振りに演能に接した主観的な印象に過ぎないが、それでもなお、己れの恣意が産み出したものを対象に押し付けているのではなく、5年間の空白を経て、ほぼ白紙の状態に立ち返って演能に接し受け止めたものに違いない。勿論、後半のイロエを始めとするシテの所作や謡の見事さや、この能ならではの科白劇として面白さを支えるワキの宝生欣哉さんのシテとの遣り取り、そして久しぶりに接して改めて感じた能楽の囃子の響きの美しさ、奥行きの深さ、松田さんの笛のひらめきに満ちて変幻自在な響き、或いは謡を先導し、或いは時として謡の産み出す時間の流れに楔を打ち込み、更には結節点となる一時休止を刻印する国川さん、成田さんの大小、更に加えて、これもかつてと変わらない、流儀ならではの勁さの裡にも微妙に移ろってゆく表情を紡ぎ出す友枝さん地頭の地謡の素晴らしさについて述べることもできるのだろうが、それは技術的な細部を言い当てることができない私如きが能く為し得ることではないし、名演であればこその印象だということは承知の上で、そうした前提となる技術的な卓越を飛び越えて、かつてにも勝って直截に自分の心に届いたもの、演能に触発されて自分の心に去来したものを書き留めておくことを以て稀有な出来事に立ち会ったことを証言することしか私にはできない。)


 冒頭の金子先生のお話にもあった通り、観阿弥の原作では盛り沢山で非常に長かったものを世阿弥が改作して切り詰めて成ったらしいこの作品は、詞書だけ読むと、後半の場面の転換、特に老残の嘆きから、深草の少将の霊が憑き、囃子があしらう中、物着をして「百夜通い」が演じられ、それが終わると「悟りの道」への希求が語られて結びとなる流れにはどことなく取って付けたように唐突で、多様な要素を詰め込んでポプリ的に接続したような感じすら受けるのだが、この日の舞台の印象は、そうした先入観をあっさり覆すものであった。
 といっても、論理的なコヒーレンスをそこに見出したというわけではない。寧ろ老残の身となり、他人の助けなしでは生きていくことができなくなり、適切なタイミングで助けが得られなければ我が身一つの振る舞いさえ思うに任せない境遇にあって、強い精神的なストレスに晒されれば、知性の働きは未だ衰えずと雖も、時として過去の記憶は曖昧なものとなり、嗜眠傾向の状態ともなれば、夢と現実、現在と過去との区別が曖昧となるというのは寧ろありふれた状況であろう。常には心の奥底に慎重に秘匿された過去の外傷的な経験が、うつつとも知れぬ夢の中で反復され、それが譫妄となって表に現れることにも何の不思議もあるまい。恐らくは、執心の主体が深草の少将なのか、それとも小町自身なのかさえ最早重要ではなく、深草の少将の執心が転移した形で小町自身の執心となって外化したものであっても構わない。更に言えば、もともと個人の心というものは、他者との遭遇、他者からの触発によって形作られたものであって、他者によって住まわれ、他者の声が交響する空間に過ぎないのであれば、深草の少将の憑依の反復によって一旦己を喪うことを通して、小町は「私」を取り戻すのだ、とさえ言えないだろうか?そしてそうした心の消滅と再生のプロセスこそが「悟り」の条件だとしたらどうだろうか?
 それ故にか、突然憑き物が落ちたように「悟りの道」への希求が語られることにも不自然さは感じられなかった。現在能であるこの作品の場合、霊が最後に成仏するという夢幻能の場合とは異なって、全曲の結びは悟りの達成や成仏を告げるものではなく、まさに「卒都婆小町」詞がそう語るように、或る種の無限遠点としての「悟り」に対する希求が残ることになる。小町が「老年的超越」に到達しているのであれば、既に「悟り」は得られている筈なのだから、更に「悟り」への希求が語られるのは矛盾ではないかという反論がありえようが、そもそも「老年的超越」を或る種の不動点、平衡状態への到達として捉えるのは端的に言って誤謬でしかない。「死」であれば不動点、平衡状態として捉えて問題ないだろうが、「老い」は「死」ではないし、「死」を目指した運動でもなく、どこまで行っても「死」は無限の彼方にあって、この「私」がなおも生きなければならない「老い」とは隔たっている。一般的なイメージとしての到達点としての「悟り」は論理的に仮構された虚像の如きものとして捉えるべきであり、「老年的超越」は、それが「老い」の様態の一つである限りにおいて終わりなき運動であり、「悟り」もまた同様に、或る種の無限遠点への運動として捉え返すべきなのではなかろうか。もしそうだとするならば、この「卒都婆小町」という作品は、端的に人間が誰しも引き受けざるを得ない「老い」についての深い智慧を孕んだ作品であることになる。こう書くと如何にも理屈めくが、理屈ではなくして、舞台を拝見して全身をもって受けた止めた印象は、まさにそうしたものであったと思う。


 金子先生は「果てを覗く」ということに関して、開曲まもなくのシテの橋掛りへの登場、とりわけ途中での一旦休止について語られ、その背後には小町が生きてきた99年の人生の重みがあるのだと指摘されたが、それを受けて演能に接してみると、終曲後、橋掛りをゆっくりと去っていく小町の向かう先には何があるのだろうかということを考えずにはいられなかった。勝手流ながら些かの敷衍を試みることになるが、それは結局(またしても、相変わらず)「老い」に他ならないのではないか、「卒都婆小町」という作品は、老いて物乞いに迄落ちぶれた小町の落魄ぶりを描き出した作品というよりは、そうした小町の姿や振る舞いを通して「老い」の存在論的構造を示し、「老い」に立ち向かう智慧を授けてくれる作品なのではないかというように思えてならない。
 と同時に、冒頭で触れたように、金子先生は能楽の世界には定年がないということを仰って、今回の演能の後も、香川師が演能を続けられる事を述べておられたが、そのことが頭のどこかにあってか、終曲後、小町の装束を付けたまま、否、より正確には、深草の少将の憑依を表現した物着の姿のまま――つまり深草の少将を「演じる」小町として――、橋掛をわたって舞台から去っていく香川師の姿を拝見して、これでおしまいなのではなく、この後も再び舞台に立ち、演能を続けられるのだな、ということを思わずにいられなかった。勿論、元々は今回の演能を以て一区切りとされるおつもりであったのは承知しているし、「仕事」としてであれば「引退」を宣言してけじめをつける、ということは今後当然にあることと思う。だが、そうであったとしても、次がある限り終わりはないのだ。一見矛盾しているように思われるかも知れないが、私の捉え方をありのままに述べれば、時間論的な構造としては、「もう一度」、「次の一回」があるということが、まさに「終わりがない」ことそのものなのだ。そして実は「永遠」というのは、この世の外に、時間を超越して超然として浮かんでいるのではなく、「次の一回」を繰り返すことによって、時間の中を通って限りなく漸近していくしかないのではないか、更に言えば、恐らくは「悟り」についても同様の構造があるのではないか、「悟った」という瞬間が天啓のように降ってくるのではなく、寧ろ「悟り」に向けての漸近のプロセス自体が、それと気づかれることなく「悟り」そのものであるというような構造があるように思うのである。


 演者が演じた内容をではなく、舞い終えた演者の姿を取り立てて言葉を費やすことが、却って演者に対して失礼に当たることを惧れるが、もしそうだとしたらその点については只々お詫びして寛恕を乞う他なく、冒頭述べたように、特に今回は様々な個人的な要因によって、常に無い状況の下で演能を拝見することになったことも与って、自分が演能から受け止めたものを、そのまま書き留めようとすると自ずとこうならざるを得ない。今回の演能が、これまで拝見してきた数多くの香川師の演能と同様に、大変に素晴らしいものであったことは私が敢えて言うまでもなく、能楽については門外漢に過ぎない私にはそれを適切に記述する言葉の用意がないから、それはその能力をお持ちの他の方々に委ねる他なく、この備忘を演能に立ち会った証言の一つとして受け止めて頂ければ幸いである。

 私にとっては以前同様、否、現在の状況を踏まえれば、以前以上に今回の演能に接したことは得難い経験であり、久しく経験していなかった長時間にわたる緊張でくたくたになった一方で、何かが吹っ切れて、日常に逼塞してほとんど見失いかかっていたものが自分の奥底で蘇るような感覚を抱いた。5年間のブランクの後今回の公演に接することで、香川師の演能を拝見することは、私にとって生きるための糧の如きものなのだということを再認することになったのだと思う。端的な言い方をすれば「もう一度」続ける力を与えて頂いた、そっと肩を押して頂いたような気がして――だが、以前拝見していた時もまた演能に接する毎に、そうしたことは起きていたのではなかったか――、もし状況が許せば更に「次の一回」、「八島」が演じられる舞台にも是非足を運びたい。そうしたことへの感謝の気持ちも込めて、最後に香川師をはじめとする演者の方々に謝意と敬意を表しつつ、この拙い証言を閉じることにさせて頂きたい。

(2024.9.26-7初稿, 27公開, 28 noteにて公開)

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