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ジャン・シベリウス 森の中へ消えていく足跡について

 シベリウスとの出会いは、多聞に漏れず、第2交響曲とフィンランディアのレコード、カラヤンのニュー・フィルハーモニア管弦楽団との演奏で、今思えば第1楽章のテンポ設定や語り口はなかなか個性的な演奏であったと思う。その音楽から流れ出てくる疑いようのない風景(この曲の成立の経緯から、この曲にイタリアの、地中海の風景を見る人がいるようだが、私には信じがたい。それと知らずに聴いた私が見出したのは、春から夏にかけてのフィンランドの、ただし訪れたことはないから、あくまでも写真等のメディアを介した想像上のフィンランドの湖水の風景であり、それは成立の経緯を知った後も変わることがない)が気に入って、次に買ったのがバルビローリとハレ管弦楽団によるシベリウスの第5,6交響曲、第1,7交響曲のLPだった。後期交響曲、特に第6交響曲と第7交響曲(私にとってはこの順番でなくてはならない。)にすっかり魅惑されたため、この2枚は宝物であった。そしてシベリウスをバルビローリで聴いたことが、シベリウスの音楽の捉え方を規定しているのは間違いない。バルビローリの音楽の暖かみというのはことシベリウスの演奏の場合、ある種の身体性と言い換えてもよいと思う。ただしそれは運動感覚ではなくて、もっと受動的なもの、身体の内側で生じる反応の感覚に近いように思える。第5交響曲の第1楽章がその最も良い例だと思う。空気の「厚み」のようなものが変化し、視界が少し歪むような感覚や、光のちらつき加減などを感じるのはバルビローリの演奏が最も強烈だと思う。普通に風景の中に立っている主体の身体感覚が音になっているようだ。

 たとえて言えば、広がる風景は確かに無人なのだが、その中でその風景に対する主体が透明になった挙げ句どこかに行ってしまうということは、バルビローリの場合にはない。しかし、にも関わらず、シベリウスの音楽の場合には(特に後期作品の場合には)音を支配しようとする主観をそこに感じることもまた、ないのだ。バルビローリのシベリウスの風景には人はいない。けれども見つめる眼差しを聴き手である私は感じ取ることができる。そして、風景は感受されるものであって、眼差しとともにしかない、ということに気づくことになる。だからバルビローリの演奏では、主観は決して透明になって風景の彼方に消えていってしまうこともない。最後までそこにいて風景の移ろいを感受しつくすのだ。美しいと感じて風景の中に心を浸す主観の存在するのがバルビローリのシベリウスなのだと思う。

 その後館野泉さんの編集したピアノ曲集が出たのでそれを買って弾いてみたりしたことはあったが、結局、シベリウスの音楽で私が聴くのは交響曲、それも第2交響曲を除けば、第4交響曲以降にタピオラを加えた5曲がほとんどで、しかも演奏としては上述のバルビローリの晩年のEMIへの録音以外では、専らザンデルリンクのものとベルグルンドのヘルシンキ・フィルとの2度目の録音があれば十分で、決して熱心な聴き手とは言えないのだが、それ以前に特定の作曲家に興味をもったのはセザール・フランクくらいで、他の音楽をろくに知らないうちにシベリウスのいわばエッセンスに触れてしまったこともあり、シベリウスの音楽は私にとって、とても「自然」なものである。あまりに自然すぎて、居心地が良すぎて、聴いてしまうと何もできなくなってしまうほどである。これはムード音楽的に聴いているというわけでは必ずしもなくて、シベリウスの音楽の背後にある意識のありよう、特に後期作品に顕著な様態を、自己形成期に順応的に感受してしまったため、それを聴くと自足してしまうというか、どこにも行かなくても、何もしなくてもいいような気分になるということだと思っている。そして、それは多分シベリウスの音楽の持つある種の「行き止まり」、恐らく間違いなく、あの「謎の沈黙」に繋がっていくと個人的には考えているあり方に影響されてのことだと思う。

 私が個人的に最もシベリウスらしいと思っている曲は第6交響曲である。音を秩序づける主観をほとんど感じさせない、無人の音楽。シベリウスの沈黙は、音楽を構築してしまうこと、音の「自然」に対する主観の暴力への抵抗ではなかったか?そんな自然がどこにあるかという問いは、例えばこの曲を聴くと空しく思える。音楽が湧き出てくる少し手前に間違いなく存在しているように感じられるから。

 それがアドルノが揶揄した「自然」とどのくらい異なるのかはよくわからない。アドルノがシベリウスを決して認めなかったのは当然のように思える。特に後期の交響曲に顕著になると思われるこうした音への姿勢は、アドルノが自分の規範としたものとはあまりに隔たり、異質だ。そうした意味でアドルノの拒絶は決して恣意的ではなく、むしろ一貫している。ただしアドルノのシベリウスの対する断定-ここでは『音楽社会学序説』(1962)に自分が30年以上前にアーネスト・ニューマンに対して語ったこととして、自己引用の形で述べられているものを参照するがー「彼は全ヨーロッパの作曲技法がかちえたものを受け入れず、彼の交響楽法においては無意味で平凡なものが非論理的でまったくわけのわからぬものと結びつけられているのではないか。美的に形のととのっていないものが自然の声だと見誤られている」(ここでは音楽之友社から1970年に刊行された渡辺健・高辻知義両氏による邦訳を参照させていただいた)という断定は、アドルノにはまさに理解できなかったもの、アドルノには論理として受け止められず、意味あるものとして受け止められなかった何かこそがシベリウスが選び取った道であったことを告げている。そうしたアドルノに対して微笑しながら答えるのは、彼のいうところの「アングロサクソン的」音楽批評の代表者だけではないだろう。極東の、別の文化的伝統を持ちながら、もはやそれとの繋がりは甚だ曖昧なものとなってしまっている人間もまた、そこにアドルノが依拠するのとは別の論理を、アドルノが属する文脈におけるのとは異なった意味を、ごく「自然」に見出すのだから。もちろんそれはアドルノの側からすれば、聴取の退化の果てに起きた出来事であり、同じ著作の別のところで述べている「生産と受容の断絶の証拠」に他ならないことになるのだろうが。おそらくシベリウスの音楽は、アドルノの伝統が属する音楽においては極めて縮退した形でしか存在しない、技術的に取り上げられることのない次元こそを拡大し、そこに存在する(だが、アドルノにとっては存在しない)論理を追求したのではないだろうか。

 もっとも、アドルノにとって存在しないことは、西洋音楽においてその次元が常に不可視な程に縮退していることを意味するわけではないだろう。エキスパートが単に気づかずに通り過ぎてしまった部分、シベリウスにおいては、常になくますます徹底されていった結果、遂にはエキスパートを苛立たせ、怒らせるに至る側面、そこに退屈で何の構造も意味もない空虚な時間の経過をしか見出すことのできないような次元が、辺境に住む者にとってはごく当たり前に自然な「聴取」の様式で捉えられ、したがって、シベリウス以外の作品においても同じように感じ取れるということはないだろうか?多分、アドルノから見れば聴取の落伍者である私は、アドルノと同じように音楽を聴いていないのだ。シベリウスのみならず、アドルノが評価する作曲家の作品についても異なる仕方で聴取をしている、アドルノからすれば許容しがたい仕方で聴取をしていることになるのだろう。ほんの一例を挙げるならば、シベリウスを経由してマーラーに辿り着いた極東の聴き手は、アドルノのマーラーに関する見解に同意し、時として深く共感しつつ、どこかでそのアドルノがそもそも可能な「聴き方」として許容しないような聴き方をしてしまっているのではないだろうか?と自問せずにはいられないのである。あの有名なヘルシンキでのマーラーとシベリウスとの対話が一般にそう了解されている両者の対立について、実は気づかずに「一般」(とはしかし一体何だろうか?)の了解とは異なった受け止め方をしているということはないだろうか?もう一つだけ付け加えれば、アドルノが言及することの少ないーー時として、ある種のレティサンスさえ感じられなくもないーーブルックナーの音楽におけるある側面、それは無視するにはあまりに明示的であり、それゆえ同時代において彼が無理解と批判に晒される原因になったのではないかと思われる側面(特に比較的早い時期の交響曲において剝き出しの形で確認でき、それゆえ後のブルックナー本人にとっての気がかりとなり、あの有名な「改訂」を引き起こした内在的な要因ではないかと私には思えるのだが)は、シベリウスが見出した論理と(同じものだとは私には思えないが、それでもなお、所謂、西洋音楽の規範を支える論理とは意識のものとして)どこかで通じている、少なくともシベリウスはそのように感じたのではないかと思えてならないのである。

 シベリウスの音楽の一つの極限を為すのが第7交響曲であるのは、恐らく衆目の一致するところだろう。第7交響曲を聴けば贅言を尽くすまでもなく看取されることだが、シベリウスの音楽は語法が一見して伝統的であるように見えるにも関わらず、音に対する態度は、間違いなくいわゆるクラシック音楽の極北にあると感じられる。例えば(特に後期の)ウェーベルンにも似たところがあるが、シベリウスはウェーベルンが引き返した(のでなければ、そこを極限と見なして立ち止まった)地点を(恐らく気づかずに)超えて先に進み、そしてそのまま沈黙することを選び取ったかのようだ。それはある意味では、周縁的な音楽の特権といっても良いのかもしれない。シベリウスは主観を(もっと言えばそれ自体啓蒙の産物たる「人間」を)超えたところにノモスのあることを確信していたに違いない(もう一度、ヘルシンキでのマーラーとの有名な対話を思い起こせばよい)が、しかしそのノモスを己の音楽の素材とは考えることができなかった。そのノモスに忠実であろうとするあまりに、曲を組み立てる恣意、手癖のように入り込む己の主観の働きに苛立つようになったのではないだろうか?シベリウスの沈黙は、ある種の完璧主義、強すぎる自己批判のなせる業だと考えられているようだし、第8交響曲に対するプレッシャーや戦乱、はたまた国家から終身年金が保証されたことによる経済的安定に至るまで、外面的な理由は様々に考えられているようで、それぞれその通りなのかもしれないが、晩年の音楽を聴くと外面的な理由以前に、音楽自体のうちに沈黙に至る方向性があるように感じられてならないのだ。同じ完璧主義でもシベリウスのそれはどことなく非西欧的、少なくともアドルノ言うところの啓蒙の精神には程遠いところがあるように思える。その一方で、ヴェーベルンのとりわけ中・後期とシベリウスのこれまた後期の対比ということでいけば、後者における、西欧の音楽では珍しいといってよい宗教性の欠如も目につく。それは単に素材としての問題にとどまらない。この音楽は森の中に入っていくが、この世に留まる。秩序はこの世のものであり、イデアルなものではない。(トゥオネラとこの世は往還可能なものなので、それは寧ろ未知の土地に似ている。)超越が垂直方向の運動であるとしたら、超越はここにはない。勿論、より大きな秩序というのは予感される。だが、その秩序は隠れているわけではない。ある瞬間に日常的な風景がこの世ならぬものの息吹を受けて変容する奇跡のような瞬間はない。ほとんど人間的なものから離脱してしまいながら、啓示とも奇跡とも無縁な音楽。そうした認識は、やはり西欧的なものとは異質なものと言わなくてはならない。

 (ここでまた、第2交響曲の第2楽章が反証として提出されうるだろう。シベリウス自身の証言により、そこにはドン・ファンの幻想、地中海的=キリスト教的なイメージが映りこんでいる可能性があると言われるだろう。だが、ここでも私は寧ろ、夜の湖岸を、あるいは海岸の森の闇、吹き抜ける風と静寂の交替を見出す。それはキリスト教の脱構築ですらなく、外部から、異教的に読みかえられたキリスト教、否、あえてそうした「証言」の事実性と折り合いをつけるとすれば、キリスト教的なものに投影され、反射した外部の風景でしかないのではないか。等価な存在として、例えばマリア伝説を取り込んだカレワラの一節を思い浮かべてもいいだろう。国民楽派だから、あるいはシベリウスにおいては奇妙な形で共存している、いわゆる「絶対音楽=交響曲」と「標題音楽=交響詩」の後者においてしばしば素材を提供したからというわけではなく、より構造的な水準でカレワラとシベリウスの音楽に並行性を見出す人がいたとしても不思議ではない。そしてそれは「絶対音楽=交響曲」と「標題音楽=交響詩」という皮相な対立図式を、他ではないようなユニークな仕方、またもやアドルノにとっては許容しがたい仕方で無効化することとも並行しているのだろう。ただしここで想定しているのは交響曲に先立つ初期作品、マーラーによれば「北欧風のソースをかけた紛い物」ではなく、多楽章の交響曲形式を本来支配しているはずの図式がここでは借り物であることが、とりわけ第5交響曲以降、曲を追う毎に明らかになり、別の論理が優位になっていった先、第7交響曲の後に書かれ、まるで完成されることなく破棄された第8交響曲の事後的な身替りであるかのような交響詩「タピオラ」の方であるが。)

 もしそうだとしたら、とりわけ第6交響曲、第7交響曲、そしてタピオラという3作品については、沈黙ではなく、撤回でもなく、作品が公表され、遺されたことを感謝すべきなのであろう。それらはある種の臨界の音楽、一歩間違えれば作品のかわりに沈黙が残されただけかも知れないような相転移の領域の音楽なのだと思う。実際タピオラだって出版社がシベリウスの返却要求に応じていたら第8交響曲と同じ運命を辿らなかったとはいえないのではなかろうか。

(2022.7.25注記:ここの部分の「タピオラ」の楽譜返却に纏わる記述は、事実関係についての誤認を含むことが確認できたので、訂正したい。実際には、ここでの出版社、ブライトコプフ社はシベリウスの要求を容れて楽譜の返却に応じている。だがシベリウスは、一旦は必要と感じた大規模な修正に入り込むことなく、ごくわずかな修正を施すに留まった。結果として当初予定からすると二カ月程遅れてではあったが、「タピオラ」は無事初演されることになる。なお出版間際になってからの「タピオラ」の自筆の返却を巡るエピソードは、近年の文献では、例えば神部智『シベリウスの交響詩とその時代』,(音楽之友社, 2015) の「タピオラ」を取り上げた第6章に、出版社に宛てた楽譜の返却を求めるシベリウスの書簡の引用も含めて記述されている。同書pp.265~266を参照。また新田ユリ『ポホヨラの調べ』(五月書房新社, 増補改訂版2019)の「タピオラ」に関する節では、著作権の問題や校訂の問題とともに楽譜返却の経緯に触れていて、こちらではシベリウスが出版社に楽譜を戻した時点が記されている。同書pp.143~144を参照。)

 シベリウスの歩みが止まるのが作品番号にして100を超える作品を産み出した後であって、その途上や、その出発点でなかったことは色々な意味で幸いなことだったのではなかろうか。それがペルトの言う、「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたという一例なのかどうかはわからない。そもそもシベリウスの音楽は、狭義では宗教的なものではない。典礼的な意味合いでの祈祷の音楽ではない。だが私には、その音楽の辿った沈黙への道筋、森の中へ消えていく足跡の方が、ペルトが選び取った貧しさ(ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうか?)よりも、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉に忠実ではなかったかと思えるのだ。

 シベリウスの音楽は深い魅力に満ちているが、実はその魅力は私にとって危険なものである。聴いている私まで沈黙することに満足してしまいそうになるのだ。シベリウスの音楽の無人の風景は美しくも心地よいものだが、卑小な私という意識の存在が消滅する極限を指し示しているかのようだ。何かをするためには何某かの猥雑さ、暴力が、他者が必要なのではないか。煩わしい「世の成り行き」との関係なくしては、私はやっていけない。だから、というわけではなかろうが、今思えば、他者を求めて、私はマーラーの音楽に出会うことになったのだと思う。そしてそうした心の機序はそれから30年になろうかという今も変わっていないようである。

(2005.12.10公開, 2006.4.11 追加, 2012.1.21加筆, 2020.2.9加筆, 2022.7.25記載内容の間違いについての訂正と追記, 2024.2.25加筆更新, 2024.6.23 noteで公開 )

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