バルビローリのマーラー
ブルックナーやR・シュトラウスに比べればマーラーはバルビローリのレパートリーとして 広く認知されているが、にも関わらず私にとってバルビローリのマーラーは発見であった。 発見であった、ということは、逆に抵抗も感じたということだ。少なくとも私にとって バルビローリのマーラーはかなり特殊な演奏に属する。その印象を一言で言えば、またしても、 ではあるが、エルガーのようなマーラー、ということかも知れない。
マーラーの音楽は音がぎっしりつまっていて、しかもそれぞれが徹底的に歌うことを求めて いる一方、音楽の脈絡が錯綜としているので、バルビローリのように一音一音に生気を与えて いきながら、音楽を停滞させずに明確に頂点を築いていくスタイルの演奏がよく合致するのは 納得が行く。ザハリッヒな演奏の対極にあって、なおかつ音楽が自家中毒的に澱んでしまうことが ないのだ。マーラーの演奏は、純粋な音響としての豊かさを追求するにしても、その音楽の内実に 寄り添っていくにしても、音楽自体が自己陶酔的に立ち尽くす傾向にあるように思え、しかも、 それが良い演奏と感じられる演奏程強くついてまわると感じていたのだが、バルビローリの 演奏はその点に関して例外であると思われる。
一方、バルビローリの演奏が「重い」とか「暗い」という形容が用いられているのをよく見かけるが、 これはどういうことなのだろう。
昔、第9交響曲(それはその時分にほぼ唯一容易に入手 できるバルビローリのマーラーだった。)を聴いた時の印象はむしろ逆で、どちらかと言えば 明るい、見通しの良すぎる、一面的な演奏のように思えたのを記憶している。マーラーの音楽の 持つ多様性、世界と主観との軋轢を十分に表現できていないと思ったのだ。ベルリン・フィルとの 有名なエピソードを聞いて期待して聴いたこともあって、ひどくがっかりしたものだった。
実際には今聴いても、かつての印象はそんなに間違っていないと思う。ただし評価は逆になる。 今ならばこうした演奏は許容できる。音響としての豊かさにせよ、主観の物語への没入にせよ、 あるいはより知的な解釈にせよ、どちらにしても優れた演奏であるほど演奏自体に自己完結的な 感じがして、ややもすれば暴力的な、押し付けがましい印象を受けるのが常なのだが、そこから 逃れえている演奏も存在しないわけではない、という実例たりうる演奏の一つだと思う。 そして、現在の私には、むしろこうした演奏でなければ、マーラーを聴くことは困難になっている。
第9交響曲についていえば、特に第4楽章は、考えうる限り最高の演奏だ。
他の曲の演奏についての評価も、少なくとも最初に聴いた印象は正直なところ、必ずしも肯定的な ものとは言い難いものが多かったように記憶している。一つには、ベルリンフィルの演奏する 第9交響曲の場合にはそれほどでもないが、フィルハーモニア管弦楽団やハレ管との 演奏ではとりわけオーケストラの合奏の精度の問題があって、これだけで以前の私の聴き方から すれば許容の範囲を超えていた可能性がある。今ならば、それを必ずしも問題にしない聴き方も 可能だと感じているが。いずれにせよ、そうした訳で、私にとってバルビローリのマーラー演奏は 必ずしも抵抗なしに聴けたわけではなかった。私は、マイケル・ケネディのマーラーについての 著作を通じてマーラーを知ったこともあり、リリースされていなかった第2,3,7番についても 優れた演奏をバルビローリが残しているという情報は知っていたのだが、インバルやベルティーニ、 そしてギーレンやツェンダーといった指揮者の演奏をFM放送で聴いたり、アバドのレコードを 聴いたりしてマーラーに馴染んできたという個人的な背景もあり、バルビローリの様式を 消化するには時間が必要だった。
ちなみに世界と主観との軋轢というモメントはマーラー演奏では割と重要な側面だと思うのだが、 必ずしも「思い入れがある」とか「熱演」と呼ばれる演奏であればその軋轢が表現できると いうものでもない。まさにバルビローリの演奏そのものがその最も顕著な反例になっていると 思う。そうはいっても、バルビローリがマーラーに対して親和的であるという冒頭の見解と 直ちに矛盾するということではないのだが。
バルビローリのマーラーは、シベリウスと同様に主観の世界に対する反応の音楽であり、 しかも、マーラーの音楽は総じてそうであることを考えれば、バルビローリの行き方がマーラーと 親和的であるのは想像できる。けれどもマーラーの場合には世界と主観との関係は一様ではなく、 それは関係を時折損なうほどまでに緊張を帯びることもある。世界が遠のく、主観の没落の瞬間が あるのだ。一方、バルビローリのマーラーにとって世界との間には緊張はあっても、 虚無と向かい合うような瞬間はないように思える。私がかつて感じた一面性とは結局 そういうことではなかったか。それゆえ、第1交響曲や第2交響曲の結末は、バルビローリにおいては まぎれもない、真正なものだ。それはひどく心を打つ。第7交響曲のあの問題のフィナーレも バルビローリにおいては真正のフィナーレである。R・シュトラウスにおいてもそうであったよう に、バルビローリは一見、音楽がそれを要求しているかと錯覚するような瞬間においても、 決してアイロニカルな解釈をとることはない。少なくともバルビローリにおいては、音楽は 見せかけ以上の何かを含むことはないかわり、見せかけと反する何かも決して持たない。 これはマーラー演奏において、ある人にとっては致命的な点だし、別に視点から見れば、 ほとんど希有の資質といっても良いかも知れない。そうしたわけで音楽以上の何かをマーラー自身が 音楽に課そうと試みた第8交響曲にバルビローリが最後まで取り組まなかったのは、 単に機会がなかっただけではなく、意図的な態度保留があったに違いない、と私は考えている。 (もっとも、バルビローリ伝の著者であるマイケル・ケネディによれば、バルビローリは 第8交響曲についても、他の交響曲に対して行ってきたのと同様の下準備を行って いたとのことであるから、私のこの見解は間違っているかも知れない。あるいは私が 第8交響曲について抱いている疑念を拭い去ってくれるような解釈をバルビローリなら したかも知れない。)
ある音の動きが、和音の進行が、音色が例えば草原や雲の動き、空気の湿り具合や温度、 光の調子などを喚起するというのは、一体どうして可能なのか?そしてそれを超えて、 永遠性といった観念的な側面を持つ享受を可能にするのは? いわゆる描写音楽のような手がかりがあるというわけでもない(要するに意識的に体系 づけられた修辞法によるのではない)作品に対するそうした連想は、しばしば月並みなものと として貶められるが、しかし、それが可能であることに対してもっと驚くべきなのではないか? もしかしたらそれは、異郷の地にある人間にとって未知の経験を、己の生き生きとした経験として 外挿することを可能にするかも知れない程度の強度を持っているのだ。 とりわけバルビローリの演奏はそうした生々しい感触に満ちている。 そして更に驚くべきことは、バルビローリがそのように感じたという感受の伝達がかくも確実に 行われうるということだろう。常には存在する曖昧さを乗り越えて、そうした伝達が行われる ことの非凡さに驚くべきなのだろう。そうした伝達もまた、かの永遠性の息吹によるものなのだろうか?
バルビローリの特に比較的早い時期の演奏(例えば第1交響曲のそれ)では特に、呼吸の自由さ、空間の広がりが 感じられ、聴くとほっとする。息を深く吸い込むこと、遠くを眺めること、かすかな響きに耳を 傾けることができる音楽なのだ。危険な言い方かもしれないが、一瞬永遠を感じることができるような気さえする。 この永遠は、地平線の彼方や、記憶の窓の向こうではなく、むしろ手前にすぐ近くに、もっと言えば「隣り」に あるように思える。 もっと「音画」のように、もう少し離れたところから音楽がなるように演奏することもできるだろう。 しかし、バルビローリの演奏では、音楽はすぐに近くで鳴っている。 自分と風景との境目あたりで鳴っているように思える。
音楽がすぐに隣りで鳴る感覚は晩年の演奏においても変わらない。バルビローリの演奏の特質である、 ある種の皮膚感覚が例えば第3交響曲では特に際立っている。湿度の微妙な変化、空気の流れによって 起こる光の変化が、纏わり付くように感じ取ることができる。しかし、今度は啓示はそうした 空気の層を通して、少し離れたところから立ち現れるように思える。決して高いところでも、 遠いところでもないのだが、それは今度は隣りではないようだ。 それは、恐らくは主観の視線がどこに向けられているのかに関する違いなのだ。 この曲には、音楽が静まった瞬間に、ある種の奇跡が起きるのではないかと思わせる瞬間があるように 思えるのだが、この演奏においてもその奇跡は決して垂直軸で生じるのではない。奇跡は意識を はみ出した経験(ではないもの)かも知れないが、しかしそれは、どこか別の場所で起きるのではない。 若き日の演奏ではそれはすぐに隣で起きていたように思えたのだが、この演奏では、その隣の 近さの感覚がやや薄れているように感じられるのだ。それは少し手前で感じ取られる、つまり、 同じことだが、少し向こうで生じているように思える。ここでは奇跡が生じる現在の直接性は後退し、 それは少し未来に生じるのを、わずかに遅れて感じ取っているような不思議なずれの感覚がある。
もしかしたら、奇跡は遠のいたのだろうか?それに答えるためにはきちんとした分析が必要になる だろうが、恐らくある種の「老い」がそこには介在するのではないだろうか。少し遅れること、 けれども、それは寧ろ近づくことであるといったような、そうした何かが20年を経て、加わって いるように思える。勿論、ここでいう「老い」は、場合によっては「円熟」と人が呼ぶかもしれ ないものの別名である。そしてバルビローリのような様式発展をした人(それはむしろ、 日本の伝統的な芸能における名人を思わせる)の場合には、この点はとても大切な点だと 思われる。
ちなみにバルビローリがマーラーに取り組み始めたのは1954年以降のことと言われている。 ただし「大地の歌」はずっと早く、1945年のシーズンには取り上げている。また最初に指揮したのは 「子供の死の歌」で、1931年にロイヤル・フィルのコンサートでエレーナ・ゲルハルトの歌唱の伴奏を した記録があるようだ。
いずれにしてもバルビローリにとってマーラーは、始めから馴染みのある存在であったわけではないようで、 最初にマーラーを聴いたのは1930年4月の時点、マーラー指揮者の一人で、マーラーの交響曲の 最初の録音(第2交響曲)を1924年に果たしたオスカー・フリートの第4交響曲のリハーサルに 出席した時のことらしいが、バルビローリは必ずしも好意的には受け止めなかったようだ。
バルビローリはその後1930年代の後半―つまりニューヨーク時代に当たるが―には、第5交響曲の アダージェットのみを取り上げているだけであり、例えばニューヨーク時代にすでに録音が残っている シベリウスは勿論、ブルックナーに比べても、マーラーへの関心は遅かったといえるだろう。
そうしたバルビローリがマーラーに取り組むようになったのは、当時のイギリスにおいてマーラーを 評価していた先駆者の一人である評論家のネヴィル・カーダスの薦めがきっかけであったことは 良く知られている。当時のイギリスではマーラーは必ずしもレパートリーとして定着していたわけではないが、 ハミルトン・ハーティやヘンリ・ウッド(プロムスで有名なあのウッドである)などが取り上げていた。 マーラーの最初の5つの交響曲についての著書もあるカーダスは、ハレ管弦楽団の指揮者となった バルビローリに対し、1930年にハレ管弦楽団を指揮して第9交響曲を演奏したハーティを 引き合いに出しつつ、1952年にバルビローリにマーラーを取り上げるよう薦めたのである。
そういう経緯もあって、50時間ものリハーサルを経て1954年2月にまず取り上げられたのは第9交響曲だった。 その後、第1(1955年11月)、第2(1958年5月)、第7(1960年10月)、第10の第1楽章と第3楽章(1961年11月)、 第4(1963年4月)、第6(1965年1月)、第5(1966年3月)、第3(1967年4月)という順序で演奏して いて、第8は結局取り上げていない。(なおベルリン・フィルとは晩年に第1交響曲から 第6交響曲までと、第9交響曲を演奏しており、もしバルビローリが1970年の夏に没しなければ、 次のシーズンには第7交響曲が取り上げられる予定であったときく。ないものねだりでは あるが、来日が実現しなかったことに加え、ベルリン・フィルとの第7交響曲が残されなかった のも残念なことだと思う。)バルビローリのマーラー演奏に対する準備は徹底したもので、 演奏の2年も前からスコアを研究し、フレージングを書き込むといった作業を進めていたという 証言がある。まさにその音楽を充分に自分のものにしてから演奏を行ったわけで、それを 証言する彼自身の言葉もインタビューで聴くことができる。
マーラーがすっかり「当たり前」になった現在から見れば、バルビローリをマーラーのスペシャリストに 含めるかどうかの判断は微妙で人それぞれといったところだろう。何しろ今では十指に余る交響曲全集 録音が存在するし、ワルターやクレンペラーと異なって、バルビローリはマーラー演奏の伝統の中心に 居たとは言えないという事情もある。チェコの指揮者が持つ中欧の伝統とも無縁である。更にまた、 オーケストラの技術的にも時代の制約による精度の限界があるのも否定し難い。 何といっても当時のオーケストラはマーラーを弾き慣れていなかったし、それはイギリスの オーケストラ同様、あるいはそれ以上にフルトヴェングラーとカラヤンのオーケストラであったベルリン・フィルに 対して当て嵌まるのである。更に言えば、ハレ管弦楽団はマーラーのライバルであったハンス・リヒターが マーラーと入れ替わるようにしてウィーンを去った時に向かった先であった。今日のベルリン・フィルが アバドやラトルの下でマーラーを頻繁に演奏し、あるいはハレ管弦楽団がケント・ナガノの下で 嘆きの歌の初期稿の初演をしたりしていることを考えれば昔日の感があるが、寧ろバルビローリこそが 今日のそうした伝統の原点にいるパイオニアなのである。だが、そうした事情はあったとしても、遺された 演奏記録を客観的に評価したときに、今日的な技術水準から見てそれらには最早歴史上の過去の 記録としての価値しかないと見做す立場があっても全く不当とは言えないだろう。
結果としてその演奏はどちらかと言えばその独特の個性によって存在意義を主張するといったタイプの演奏になるのだろう。 そして私にとってはバルビローリのマーラー演奏は、逆説的なことだが、まさにその周縁性によって他の演奏には 見られない、しかも私がマーラーにとって極めて重要と考える或る種の質を備えたものに思われるのである。 バルビローリはアウトサイダーとしてマーラーに接することでかえってマーラーの音楽の持つある質を卓越した仕方で 捉え、それ故、バルビローリ以上に時代も環境も異なる私のような聴き手にとっては極めて説得力のある解釈を 提示しえているように感じられる。
主観と世界の様態の多様性の記述と引き換えに、音そのものへの誠実さが、もしかしたら もはや信じることが困難な主観の物語に説得力を与えるのだ。そして、この一点のみでも バルビローリのマーラー演奏はかけがえのない価値を持つものであると思う。演奏や録音の 精度の高さにおいてより優れた演奏は今や幾らでもあるだろうが、こうした説得力を持つ 演奏は稀のように思われるからだ。
(2002.4初稿、2008.4.13, 5.8,10補筆改訂, 2024.7.2 noteにて公開)
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