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証言:ヴァルターの「マーラー」より:その「人」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.113, 邦訳p.207):その「人」についての回想

Es erscheint mir als die große moralische Leistung seines Lebens, daß er sich niemals über die Qualen der Kreatur und die seelischen Leiden der Menschheit mit dem achselzuckenden Ignorabimus des Philosophen beruhigte, um den Blick ungestört dem Schönen und Beglückenden des Weltbildes zuwenden zu können. » Daß du ihr Vater nicht, daß du ihr Zar «, diese Worte aus der Totenfeier des Mickiewicz konnte er in düsteren Momenten auch zu Gott sagen. Aber dann fühlte er wieder, daß hier ein Mißverständnis walten müsse, und blieb der Aufgabe, die ihn gewählt hatte, treu: zu leiden und einen göttlichen Sinn darin zu suchen.

 かれが生きるものの苦悩に黙従せず、また「われわれはそれを決して知らざるならん」と、肩をすくめる哲学者の態度で、人間の精神苦を受け流すこともしなかったことこそ、かれの人生の偉大な道義的完成であったと思う。かつそれならばこそ、かれは、この世の全領域における美しきもの、幸いなるものを熟視しつつけることができたのである。「君は人類の父であるばかりではなく、また皇帝!」とのミッキェヴィッツの詩「葬儀」の中の言葉は、また、かれが、暗鬱なときに、神に対していうことのできたことばであった。しかし、その発作は短時間であった。かれはどこかに解けきれぬ誤りがあるように感じて、かれに与えられた問題に真剣にとり組んで、そのなかに、神慮を求めんと苦しんだのであった。

ヴァルターはここで晩年のマーラーが彼宛に送った書簡を思い浮かべながら、マーラーの「態度」について非常に説得力のある説明をしていると私には思われる。 この文章には、長年に亙ってマーラーと親しく接した人ならではの、決して一時の印象に引きずられない視線が感じられる。(もとの書簡も「語録」の方で 紹介しているので興味のある方は参照されたい。)

こう言ってしまえば身も蓋も無いかも知れないが、人間は矛盾に満ちた存在で、その歩みは決して論理的に整合的なわけではない。ある経験を介して、 一方の極から他方の極へと飛躍することだって、無くはないし、それを責めることは(少なくとも我が身を振り返れば)できない。 ヴァルターはそうしたマーラーの歩みに見られる不変項を取り出しているのであろう。 そしてこうした印象が決して個人的なものではなく、例えば、決して親密とはいえなかったヴァルターとアルマの両方から 聞けるというのは、それが必ずしも主観的な偏見の産物とは言えないことを示しているだろう。アルマもそうだが、ヴァルターにしても決してマーラーの「欠点」に 対して盲目だったわけではないのは、この回想を通読すればはっきりと窺えることでもあるし。

だが、これはマーラーの「人」に対してのコメントであって、その音楽はまた別のものだ、という意見に対しては、ヴァルター自身のマーラーの「作品」についての言葉が 反論することになるが、これは別に紹介したい。

(2007.6.23, 2024.7.26 邦訳を追加。noteにて公開。2027.7.28 修正。)

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