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2006年11月3日山本会別会を観て

「翁」翁:狩野了一・三番三:山本東次郎・千歳:若松隆
「釣狐」山本則秀・山本則重
「呼声」山本東次郎・山本則直・山本則俊
「髭櫓」山本則孝・山本泰太郎・山本凛太郎


山本会別会のご案内をいただいたので、拝見しに国立能楽堂へ。「釣狐」、喜多流の「翁」という披きの大曲に、 「呼声」「髭櫓」という番組。狂言の曲はどれも初めてである。

「翁」は翁の狩野了一さんと、千歳の若松隆さんが披き。本来は三番三も遠藤博義さんが披かれる筈だったのが、 ご病気のため、山本東次郎さんの代演となった。披きのお二方は大変に丁寧に演じられていたように感じられた。 ただし(「披き」についてこうしたことを本来云々するのは筋違いだとは思うが)、「翁」の持つ、見所の体の奥底まで 届き、直接共振を生じさせるようなあの、根源的といいたくなるような律動を感じるまでには至らなかった。恐らくそれは、この後 何度も演じられることによって自然と獲得されていくものなのだろうと思う。東次郎さんの三番三が、そうした律動感を 自然に体現されていたことを思うにつけ、その感を強くする。
東次郎さんの三番三さんは自然で、流麗で、品格のある、素晴らしいもので、如何にこの役を大切になさっているか、 そして同時に如何にこの役を自分のものにされているかを感じずにはいられない、揺ぎ無さを感じさせるものだった。 以前テレビで拝見してとても感動したのだが、今回初めて実演に接し、感動を新たにした。
儀礼性の強い曲だが、途中、千歳と黒式尉のやりとりがある。張り詰めた儀式の間に挟まって気分が 変わる部分で、個人的にとても好きな部分なのだが、東次郎さんと若松さんのやりとりは生き生きとしたもので 理想的なものだったと思う。型を重視する山本家の行き方は、こうした部分でとりわけ精彩を放つように思える。 狂言もまた能舞台で演じられるもので、近代的な演劇ではないし、そうなってしまったら意義が喪われるのだ、 ということを再認識させられた。

「釣狐」は、私にとっては難しい曲である。演者の方にとっての重み、当日までに積まれたであろう修練の厳しさを 仄聞してはいるし、拝見すればそのことははっきりと伝わってくるのだが、曲自体の面白さと、そうした技術的な 見せ場のベクトルが揃っていないような感じがしてならない。とりわけ後場が構成的に冗長な印象は拭えない。
にも関わらず、今回の演奏では後場になっても緊張感が途切れなかったのは素晴らしかった。 最初から狐であることをはっきりと前面に出したやり方は異色で、一見、話の流れからすると無理がありそう なのだが、最後まで拝見してみた印象は必ずしもそうでもないのが面白い。実際、狐が猟師をうまく騙せるか どうかは本質ではないのかも知れない。猟師はどこかでそれが狐であることを知っているに違いないし、 狐が己の本能に負かされてしまうプロセスは、後場では狐の姿で出現することそのもので言い尽くせている。 そのように考えれば、通常は狐の演技のみに関心が集中しがちな曲だが、実は能であればワキの立場にいる 猟師の存在感が作品を支えるのには欠かせないことに自然と思い至る。果たして、今回の則重さんの猟師は、 そうした存在感を示して余りあるもので、ある部分では狐を凌駕せんばかりだったが、そのことが緊張感を 高めるのに大きく寄与していたに違いないと感じられた。

順番が逆になるが、囃方の盤渉楽に続いて演じられた「髭櫓」を先に記すことにする。
話自体は他愛もなくストレートなもので、演じられる筋書きの表面にはさほど屈折があるとは思えない。 あるとしたら、それは手前にあった筈で、ここではいわば物語の結末の部分だけが語られる。
それを一曲に仕立てるために、髭と櫓という小道具と大勢の女衆が登場するのだが、 今回何よりも感心したのは、話を進める謡のうまさである。謡はまさしく修羅能のパロディに なっているのだが、則俊さんを頭とする謡があまりに素晴らしく、内容との落差にほろ苦さを 感ぜずにはいられないのである。凛太郎君の告げ手もしっかりとしていて、やりとりから自ずと 滑稽味が滲み出て来ることになっていたと感じられた。恐らくこの曲は意識的に滑稽味を狙ったら 観賞するに耐えないものになるのではないかと思う。輪郭のしっかりとした演技と謡があって、 滑稽味は自然と滲み出てくるのだし、物語が孕んでいる屈折も余韻として感じられるのではないかと いう印象を抱いた。

この会は何といっても披きが中心で、若手の活躍する会ではあるのだけれど、私にとっては結局のところ 東次郎さん、則直さん、則俊さんの「呼声」を拝見できたのが、最大の喜びだった。 他の演目も素晴らしかったけれど、個人的には仮に「呼声」一番だけであっても十二分に満足しただろうと 思えるほどだった。
話はこれまた単純で、無断欠勤の太郎冠者の様子をうかがいに次郎冠者と主が訪れ、色々な節をつけて 太郎冠者を呼び出すというそれだけである。だんだんと呼び出す二人の興が乗ってくるのにつれて、 居留守をつかっているはずの太郎冠者もつられてしまい、最後は鉢合わせになって追い込みという、 典型的な筋書きなのだが、これが、筆舌に尽くせないほどの面白さなのだ。
謡のうまさ、絶妙の間合いで進められる対話、繰り返すうちに盛り上がり、テンポが上がって、その頂点で あっけなく幕切れが訪れる、その構成感の素晴らしさは、まるで音楽を聴いているかのような錯覚を覚えるほどだった。 面白いといえば勿論面白いのだが、それ以上に磨き上げられた美しさが感じられる。15分ほどの小品だけれども まるで魔法にかけられたような魅惑の時間を経験できて心が洗われたように感じた。

休憩を含めて4時間だったが、いつものように、とても充実した時間を過ごすことができ、演者の方々には 感謝したい気持ちである。多忙のために、感想を書くのが遅くなってしまったが、その間に則直さんの 紫綬褒章ご受賞の報が届いた。心からお祝い申し上げるとともに、これからも山本家の狂言を拝見していきたいと思う。

(2006.11.4 執筆・公開, 2024.8.13 noteにて公開)

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