須田さんの歴史を聞いて、「自分ができることを真剣に楽しむこと」が大事だと学ぶ

こんにちは、西荻ぷれまのイシイです。

最近、こんな記事を読みました。

この記事の中で、鴨頭さんがマクドナルドで働いていた当時の社長さんのスピーチが印象的でした。

マクドナルドの人事部で働いていたころ、当時社長だった原田泳幸さんが入社式で披露したスピーチが今でも忘れられない。原田さんはズラーっと並んだ新入社員を相手に、「うちも含めて、世の会社の大半が君たちに『将来のキャリアプランは?』って何度も聞いてきたと思う。でも、キャリアプランなんていらない。だって将来のことなんかわかるわけないだろ。俺だってわかんなかったよ」って言ったんですよ。原田さんはマクドナルドの社長になるほど優秀な経営者だけど、ちょっと変わった経歴の持ち主で。取り立てて高学歴なわけでもなく、経営とはほど遠い「電気技工士」としてキャリアをスタートしたんです。そのあとAppleに転職して、数年後に突然マクドナルドに引き抜かれて社長になった。そんなのは、原田さんからすると「自分のキャリアプランにはなかった」と言うわけ。原田さんはこう続けた。「本当のキャリアプランというのは、目の前のやりたいことにすべてを捧げることだ。そうすれば、キャリアは向こうからやってくる」って。


この「キャリアは向こうからやってくる」という考えは僕も信じながら日々活動しているんですが、最近「それを体現して生きてきた人だなぁ」という人と出会いました。

それが、毎月「神明通りあさ市」でぷれまに場所を貸してくださっている須田時計店の須田さんです。


須田さんは大正生まれ(!)の大ベテランにも関わらず今も現役で時計の修理をなさっているおじいちゃんで、「若い人がいろいろやるってのはいいことだ!」といつもぷれまを応援してくれています。

先日須田さんにぷれまからのおすそ分けを渡しに行ったと時に、お茶をいただきながら須田さんが神明通りに「須田時計店」を開くまでのお話を聞く機会がありました。


須田さんの歴史

戦時中、東京の光学系の会社に就職、機器の技師として働く
その後、個人、デパートの時計店を渡り歩く

その間に八百屋など他業種も経験したが「やっぱり自分が時計を扱う仕事がしたい」と気づく

西荻の時計店で働いていたところ、仲良くなった土地持ちのお客さんに通常より安くテナントを紹介してもらい、自分の店を開く

戦後、ものが市場に出回らず、販売する時計を仕入れることができなかったので、近隣の時計店を回り、面倒な修理が必要な時計の修理を請け負う

修理で腕を上げてお客さんがつき始め、現在の場所に移転



須田さんのお話を聞いて、状況によっては八百屋にもチャレンジしたり時計がなければ修理を請け負ったりと、「自分ができることはなんでも楽しみながら一生懸命にやる」という須田さんの姿勢が、素敵なお客さんやこれまでの出会いを生んできたんだろうなぁと感じました。

現にぼくも、明るく応援してくださる須田さんのファンになっていますし。

(先日、他所で修理を断られた時計を直していただきました。)


うまくまとめられないけれど、そんな自分の話を楽しげにする須田さんの姿がとてもかっこよく見えました。

僕も須田さんみたいにかっこいいおじいちゃんになりたいので、、何事にも真剣に楽しんでいこうと思います。


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