先代の3回忌を迎えて、彼と別れてからの2年間を振り返って改めて感謝した

こんにちは、西荻ぷれまのイシイです。

父親が亡くなって2年が経ち、今日は家族と父の仲間たちで3回忌を行いました(正確には命日まであと20日ほどありますが)

彼は自営業で会社をしており、僕がその会社を継いだので、彼は僕にとって「父親」でもあり「先代」でもあるんです。

なので今日は、会社を立ち上げて多くの事業を行ってきた「先代」のことを考えながら、自分が会社を引き継いでからの2年間を振り返ってみます。なのでタイトルも「父親」ではなく「先代」で行きたいと思います。

・・・・・・・

先代が亡くなり、会社を継いでからの1年はとにかく「先代ができたことをできるようになろう」と試み続けた1年でした。

先代はドイツ語の通訳やドイツ語教材の制作を生業にしていて、大きく分けると

1.ドイツ語とドイツに関する知識

2.映像制作技術

3.教科書出版の知識

のスキルをもって仕事をしていたので、一先ずこのスキルを手に入れるために、

1、「まずドイツ語が出来なきゃ話にならん・・・」と思い、葬儀の2ヵ月後にはベルリンで語学留学をスタートさせ、ドイツ語を日常会話レベルなら苦も無く話せるようになりました。(その時の話はまた別の機会で書きたいと思います)

2、帰国後、映像制作の会社で下請けとして毎日通わせてもらいながら修行をして、撮影のノウハウと、映像制作ソフトの基礎的な使い方を学びました。

3、先代がともにドイツ語教材を作っていた出版社にもアルバイトとして通い、ドイツ語の教科書作りをしながら教科書出版のスケジュールや大事にしていることなどを勉強しました。

今思えば、とにかく「1に先代、2に先代」という感じで、見えない背中を追い続けていたように思います。

それを1年続けて得た経験、技術や語学力は多くありますし、その経験を与えてくれた人たちに感謝しています。

ですがそれと同時に生まれたのが、「なんかつらいな」というもやもやでした。ドイツの知識もどこか受験勉強的に覚える感じだし、映像の仕事も楽しい反面、「ずっとパソコンの前にいるのつらいなぁ」みたいな性に合わない感じだし・・

その時、仕事をしている先代の姿が思い出されました。

ドイツ人と話してる時、映像を作ってる時、映像の台本を書いているとき。

・・・いっつも楽しそうだったなぁ。

その時、気づきました。きっと彼は、楽しいことをやった結果ドイツの知識や映像の技術も手に入れたんだな、と。やっぱり楽しみながら仕事している人には成長の質もスピードも敵わないんですよね。

なので僕も、「せっかくもらった一人会社、心躍るものをやろう」と決めて、後半1年は「先代と違う道でも、興味があることをやってみて自分の幅を広げる」ことを意識して活動しました。一例として

・全く未知の内装業の世界に飛び込む

・ドイツ以外の国のコーディネートもおこなう

・地域団体のNPO法人化のための書類作成、申請をする

などです。

とにかく「必要性」より「興味」のあることをガンガンやる方向にシフトして仕事をしていくことにしました。

その結果、「やらなきゃ」というもやもやは消えて、先代のドイツ語や映像のように「気づいたらできるようになっていたこと」がふえていました(法人申請、クロス張替えなどなど)。

僕はかなり怠け者なので、「やらなきゃ給料ゼロ」みたいな環境でなければ新しいことに挑戦してできることを増やし続けるみたいなことははできなかったと思うので、そんな「常に考えて実践することを求められる環境」をくれた先代に感謝してます。

もちろん先代が一人で仕事をし続けてこれたのは単にスキルだけではなく「ポジティブさ」や「高いコミュ力」など人間的な部分も多かったと思いますが、それはまた今度書こうと思います。

こんなことを思いながら、献杯。

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